気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

船守弥三郎のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は船守弥三郎についてです。




船守弥三郎と言えば、多くの創価学会員さんは「伊豆流罪の際に川奈に流れ着いた日蓮を助けた漁師」とか「海中から出てきた釈迦像を日蓮に捧げた」こと等がよく言われます。このことは『船守弥三郎許御書』(創価学会版御書全集1445ページ)でもよくわかります。



結論から言えば、実は『船守弥三郎許御書』は偽書の疑いが古来から強く主張されています。
そもそも同抄には真蹟が存在しませんし、日興等の古写本さえも存在しません。さらに上述した「海中から釈迦像が出てきた」ことを示している御書はこの『船守弥三郎許御書』だけです。


真蹟が残る遺文から確認する限り、日蓮伊豆国伊東郷に流罪されたことが伝えられるだけで、流罪にまつわる逸話等は出てきません。
では船守弥三郎のことが記録された最古の文献とは何によるのでしょうか。



それは円明院日澄(1441〜1510)撰とされる『日蓮聖人註画讃』です。この中に船守弥三郎の言い伝えが記されますが、これ以前に船守弥三郎が日蓮を助けたとか、海から釈迦像が出てきた等の「船守弥三郎」という名前を見ることができません。
ですから船守弥三郎の逸話は祖滅200年以上が経過した後に作られた伝説の類に近く、それを根拠づける真蹟は存在しないということです。
さらに言ってしまうと、『船守弥三郎許御書』はかつて真蹟が存在したという記録さえ存在せず、最古の写本と呼ばれる本満寺本はなんと祖滅314年後の成立とされるものです。
さらに船守弥三郎が日蓮に仕えたという逸話は、この『船守弥三郎許御書』以外の他の御書には全く述べられていません。


このことから『船守弥三郎許御書』は偽書説が古来から強く主張されていまして、船守弥三郎の言い伝えは、後世の創作による逸話程度に扱うべきであると思います。



多くの創価学会員・大石寺系信徒さんは、そもそも教団が提示するものを無前提に信ずるところから信仰の根本が出発しており、日蓮遺文の多くに偽書が存在することを考えることさえできなくなっているように思います。