気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

実像を求めて。





いつもみなさん、ありがとうございます。


私は別段、このブログで高尚なことを書こうとしていません。そもそも私自身が高尚な人間でもなく、卑俗な人間に過ぎませんし。


私がここで書いているのは、創価学会の活動家だった自身の過去の恥を晒す行為であり、その反省と総括をどうするか、ダラダラと気楽に書いているだけです。


私は別段、誰かを悪役に仕立て上げようとは思っていません。


池田氏の批判もしますが、別に恨みがあるわけではありません(お小遣いとかもらいましたし・笑)。以前にも書いたように池田氏には自身の虚像を大きく見せるところがあり(ですから彼は若い頃によく「大風呂敷」と呼ばれていましたよね)、虚勢を張るところがあるだけです。本質的に池田氏は江戸弁のべらんめえ調で話す、気の良い下町のおじさんだと思っています。悪い人ではありませんが、入信時の逸話の創作など虚像を生み出した責任は彼自身に帰されるべき問題であると思います。


私の関心事は、本当のところを知りたいだけなんです。
教団が勝手に主張している教義なんて聞き飽きました。どの幹部を捕まえても同じようなことしか言いませんし(笑)、妙観講の活動家さんを捕まえても同じようなことしか言いません(笑)。
何を言うのか、聞く前からわかる話などなぜ聞きたいと思うのでしょう。


史料や史実から実像を描き出すこと、そしてそのことで過去の自分がやってきたことの正当性を洗い出すことが私には必要で、全てを疑った後に残る真実を私は採りたいと考えています。


だいたい大石寺系の信徒の方が自分たちの教義を話す時、引用する日蓮遺文は決まって真蹟不存、真偽未決で偽書の疑いの強いものばかり出してきます。例えば『生死一大事血脈抄』とか『諸法実相抄』とか『御義口伝』とか『法華初心成仏抄』とか、そんなんばっかりです。
多くの創価学会員さんも大石寺信徒さんも、まともにきちんと『観心本尊抄』を読んでいないのかと思います。


観心本尊抄』は日蓮真蹟の全文が中山法華経寺に現存しています。こういうところからきちんと外堀を埋める作業が必要なのであって、なんでも一緒くたに議論をしても、日蓮の実像に迫れるはずがないかと思います。



教団の提示する教義の色眼鏡で物事を見るのに慣れてしまうと、それ以外の思考ができなくなってしまい、閉塞された世界の中に生きるしかなくなります。結果、一般社会とは隔絶された選民思想的な教義となり、自分たちの教義の内側でしか語れない信徒を大量生産することになります。