気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

創価学会の公明支援の問題点。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私はこのブログ上であまり公明党については批判していません。
今回はその理由を簡単に書きたいと思います。



私は宗教団体がその教義の理想から具体的な政策を考え、政党を組織することは権利としてあって構わないことだと考えています。
同時に宗教団体がその政党を支持することも、また別の政党を支持しないことも、国民の権利としてあってよいことと考えています。


私が最大の問題と考えるのは、宗教団体が内部の一会員に対して、それら特定の政党を支援することを無言のうちに事実上強要しているからです。


もちろんそんなことを言っても信濃町創価学会本部は「会員の政党支援は個人の自由」という建前を主張しますし、彼らも「創価学会員でも公明党を支援してない人は多数存在する」という反論をされるかと思います。


私が言いたいことはそうではありません。
一度創価学会の活動家になると、その方針に対して敵対することで、創価学会内部への反逆者、裏切り者認定されかねないということです。
ですから、創価学会本部の打ち出しに反発をすると組織から「仏敵」認定されてしまう、その危惧を活動家は拭い去ることができないのです。


昭和40年代以降、創価学会は地域に強力なネットワークを持ち、地盤のある互助組織として発展して来ました。
創価学会員の多くは、偏見の目で見られたり、蔑まれたり、宗教的に拒否されることも多いです。まあ、それは過去に創価学会が「謗法払い」と称して他宗を排撃してきたりしたことが背景にあるわけで、自業自得とも言えるのですが、それらへの対抗策として彼らは自分たちで互助組織を形成し、コミュニティを形成することで生きてきたと言うことはできるでしょう。選民的な思想という意味では大石寺と所詮さして変わらないのですが、昭和30年〜40年代にかけて創価学会は地域にそのような共同社会を形成してきたのです。


ですから、その組織から外れるということは、創価学会員からも爪弾きにされ、社会からも爪弾きにされる、言わば社会的に孤立することを多くの場合、意味します。


純粋な創価学会員は、例えば公明党を支援できないと感じると、幹部に指導を受けることが多いです。幹部はそこで当人を納得させ、公明党支援をさせるようにその人に対して働きかけるのです。
創価学会員は多くの場合、そこで自分を納得させ、公明党支援を結果的に選択することになります。



繰り返しますが、私は宗教団体がどんな政党を支援することも自由であると思います。
ただその大切な前提は、個人がどんな主義や主張を構えようと、それらは基本個人の自由であり、それらの個人の思想信条に対しては尊重されなければならないということです。
創価学会が罪深いのは、建前上は「個人の思想信条は自由」と謳っているにもかかわらず、その実、それに反発するとその人が創価学会の地域組織から孤立しかねない"無言の圧力"がかけられるという点です。


そして特定の政党を支援しているのは日本の創価学会組織だけであり、海外のSGI組織には特定の政党支援をするということがありません。


この点に着目しなければ、創価学会の政党支援の闇に踏み入ることができないのだと私は思います。