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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『貞観政要』のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は『貞観政要』(じょうがんせいよう)についてです。




ご存知のない方のために簡単に説明しますと、『貞観政要』とは唐の太宗とそれを補佐した家臣たちとの政治的な問答集です。太宗の死後40〜50年後、呉兢(ごきょう)という名の史家により編纂され、いわゆる支配者のための帝王学として読まれてきました。


日蓮はこの『貞観政要』を常に手元に置き、ここから自身の思想を練り上げていった可能性が高く、日蓮自身が直筆で残した『貞観政要』の写本が北山本門寺に現存しています。



Twitterでも書いたように、日蓮の思想には『貞観政要』の影響が強いです。


例えば富木常忍の忘れ物のことを記した『忘持経事』(真蹟中山)には「桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり」(創価学会版御書全集976ページ)とありますが、これはまさに『貞観政要』中の「丘見桀紂之君。乃忘其身』(ちくま学芸文庫版、105ページ)のことを述べているのでしょう。


他にも『貞観政要』の影響は日蓮遺文の各所に多く散見されます。



例えば『富木殿御書』(真蹟中山)には次のような一節があります。


「夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く」
(前掲書969ページ)


全く同様の一節が『貞観政要』にもきちんと見られます。


「聖人の安きに居りて危うきを思う所以は、正にこれがためなり。安くして而もよく懼る。あに難しとなさざらんや」
(前掲書44ページ)


簡単に『貞観政要』の訳を書きますと

「昔から聖人は『安きに居りて危うきを思う』のは、これがためではあります。国が安泰なときにこそ心を引き締めて政治にあたらなければなりません。それで、私は困難であると申し上げたのです。」
(同43ページ)



繰り替えしになりますが、『貞観政要』は帝王学の書物です。つまり支配者層、そしてその家臣が読むべき本です。
日蓮の思想はこの『貞観政要』を基にし、国が安泰であるために、自身が真の家臣として国家を救済すべきだという視点に主眼が置かれています。
つまり『立正安国論』の思想、それを鎌倉幕府に提出する発想は、この『貞観政要』由来のものだと言えるかと思います。


意外なことですが、この『貞観政要』をきちんと読むことで、日蓮遺文の随所の意味がよく理解できるようになるかと思います。





参考文献:
呉兢『貞観政要』守谷洋訳、ちくま学芸文庫、2015年(初出1975年)




追伸:
ところで、真蹟不存ながら『佐渡御書』の末尾、追伸の部分にこの『貞観政要』の名前が出てくるのは興味深いです。
引用してみましょう。


外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては消息もかかれ候はぬにかまへてかまへて給候べし」
(『佐渡御書』前掲書961ページ)


簡単に通解しますと、


外典等の『貞観政要』をはじめとする外典の物語や八宗の相伝書等を送ってくださいませ。これらがなければ手紙も書けないので、ぜひとも送って頂けるよう重ねて申し上げます。」