気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日天・月天のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮の「日天・月天」観について、考えてみたいと思います。


多くの大石寺系信徒の方、創価学会員さんはかつて初座の勤行で諸天供養をした際に大日天と大月天はともに法華経守護の諸天善神と教わったかと思います。


ところでこの日天・月天というのは、実は真言密教で説かれたものであり、日蓮が実はこの擬人化された日月観を持っていたと言えば、驚かれるでしょうか。


実はこのことを日蓮が述べている真蹟遺文が中山法華経寺に現存します。
それは『日月之事』という御書です。創価学会版御書全集ですと、599〜601ページに全文が掲載されています。


簡単に一部を紹介してみましょう。


            /  誓耶后
大日天
            \  毘誓耶后

                         /  麻利支天女
             乗輅車 ー  九曜
                         \  七曜


                    二十八宿
大月天         乗
                    十二宮                     」

(『日月之事』創価学会版御書599ページ)



パソコンのフォーマットの関係で、正しく表示されないかもしれませんが、これはいわゆる「つりもの」(図表)なのであって実際に御書を見てみることをお勧めします。



さてここで日蓮は、日天が「馬の引く車に乗り二人の后を従えている」としています。
また月天は「鳥に乗っている」と表現しています。この記述は法華経ではなく、真言大日経疏巻十や胎蔵界曼荼羅に描かれているものです。


日蓮が日月を擬人化して見ているというのは、鎌倉時代の時代的な制約であり、仕方がないことかと思いますが、それを擬人化する際に真言の記述を根本としていることは興味深いことです。


この日天月天に関する日蓮の記述は他にも『四条金吾釈迦仏供養事』にも見いだすことができます(真蹟断簡:鎌倉妙本寺、身延曽存)。


「大日天子と申すは宮殿七宝なり其の大さは八百十六里・五十一由旬なり、其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜・九曜つらなり前には摩利支天まします・七宝の車を八匹の駿馬にかけて呼ん天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う」
(同1145ページ)




日蓮の教義の構成には、真言の影響が非常に強いことは多くの識者が指摘していることですが、日蓮法華経を根本にする時に一切の経典の神が法華守護の役割を果たすというような考え方を採っていまして、他宗を批判しつつそれらを教理の内側に摂取してしまうという、"諸教包摂性"のような特徴を持っていると私は考えています。