いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮の「日天・月天」観について、考えてみたいと思います。
それは『日月之事』という御書です。創価学会版御書全集ですと、599〜601ページに全文が掲載されています。
簡単に一部を紹介してみましょう。
「
/ 誓耶后
大日天
\ 毘誓耶后
/ 麻利支天女
乗輅車 ー 九曜
\ 七曜
大月天 乗鵞
十二宮 」
(『日月之事』創価学会版御書599ページ)
パソコンのフォーマットの関係で、正しく表示されないかもしれませんが、これはいわゆる「つりもの」(図表)なのであって実際に御書を見てみることをお勧めします。
さてここで日蓮は、日天が「馬の引く車に乗り二人の后を従えている」としています。
「大日天子と申すは宮殿七宝なり其の大さは八百十六里・五十一由旬なり、其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜・九曜つらなり前には摩利支天まします・七宝の車を八匹の駿馬にかけて呼ん天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う」
(同1145ページ)
日蓮の教義の構成には、真言の影響が非常に強いことは多くの識者が指摘していることですが、日蓮は法華経を根本にする時に一切の経典の神が法華守護の役割を果たすというような考え方を採っていまして、他宗を批判しつつそれらを教理の内側に摂取してしまうという、"諸教包摂性"のような特徴を持っていると私は考えています。