気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

デビルマンのこと。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで、今日のテーマは永井豪の「デビルマン」についてです。
何の関係があるんだ?と(笑)不審がる方が続出しそうです。
まあ、気が向いたら先をお読みくださいませ。



永井豪原作の漫画版原作の「デビルマン」は、テレビアニメ版と結末が全然違います。
恐ろしい凄惨な結末が待っています。


デビルマン」の中で、人間が次々と悪魔に姿を変える姿に慄き、人間たちは次第に「人間の中に悪魔がいる」と互いに不信を抱き始め、やがては人間同士がお互いを殺しあうことになります。


人間たちを救おうとデビルマンが駆けつけると、そこには人間たちに殺された無残な無実の人間たちの姿がありました。
その残酷で臆病な人間たちの姿を見て、デビルマンが叫んだ言葉こそが冒頭の画像のシーンです。


「俺はからだは悪魔になった
だが、人間の心を失わなかった!
きさまらは人間のからだを持ちながら
悪魔に!
悪魔になったんだぞ!
これが!これが!
俺が身を捨てて守ろうとした
人間の正体か!」


怒りと悲しさのないまぜになった、言いようのない叫びを感じます。


私は以前書いたように、かつて創価学会の活動家だった頃、広宣部・言論企画部の一員として他宗対策、とりわけ顕正会法華講妙観講と散々法論まがいのことをしてきました。


それはまさに悪魔の所業です。


相手を仏敵と称して、相手の言論を封じ、回答不能に追い詰める法論を何度となくやってきました。
ここで何度も書いているように、大石寺の教義には決定的な矛盾がいくつも存在します。
戒壇本尊の相貌と七箇相承との矛盾、日蓮本仏説の遺文との矛盾、過去の血脈観と現在の血脈観との矛盾…………それらを突けば法華講さんは容易に回答不能に陥ります。



つまり法華講さんはそれらの矛盾に蓋をして、「ただ信じる」ということでしか、自分たちの信仰を担保し得ないのです(まあその意味では所詮創価学会員や顕正会員も変わらないのですが)。
そこを私は何度となく突き崩して来ました。中には精神的に崩壊し、回答不能に陥り、精神を病んでしまったり、私と対論した後、体調を崩して入院してしまった方も過去にありました。


私は当時活動家であり、そうやって相手を論破することに奇妙な高揚感を覚えていました。
言わばデビルマンの「悪魔の力」です。


少しでも学べば、そんな矛盾はいくらでも知ることができますし、いくらでも私は誰かに教えることができます。
しかしそれはまさに「悪魔の力」です。


私はもう少しで本当に悪魔になるところでした。



けれど、それを引き止めたのは、母の存在でした。
同時に「学ぶ」ということをやめなかったことも幸いしました。
私は恐ろしいことをたくさんしてきました。
罪深いことをたくさんしてきたように思います。
けれど母がいなかったら、私はあのまま暴走して、創価学会の壮年幹部として取り返しのつかないところまで進んでしまったかもしれません。


そこに気づかなければ、創価学会員や法華講さんは他人を悪し様に罵ったり、平気で他人に金を出させる所業から抜け出せないでしょう。
彼らは(過去の私も含めて)それらを「他人に福運をつけさせるため」「悪業を切ってあげるため」という善意で行なっていると勘違いしています。
彼らはそこに盲目なのです。なぜなら彼らは臆病であり、自身の外側に敵を作り、信仰という名の下に全てを善悪に立て分けることでしか生きる術を知らないのです。




そのようなエレメントは、実は日蓮の中に本質的に存在していると私は考えています。
そこに思いを馳せ、自らの思想を振り返ることをしないのならば、人は容易に悪魔に姿を変え、互いに殺し合うことになるのだと私は考えています。




追記:
興味のある方は永井豪の『デビルマン』原作を是非お読みになられると良いかと思います。講談社の漫画文庫版では全5巻組で出ています。
ただし最期の結末は恐ろしいものが待っています。覚悟して読むことを付言しておきます。中途半端な興味関心から読むとショックを受けかねませんのでお気をつけください。