気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

金を出させる組織の精神構造。





あけましておめでとうございます。
旧年中はみなさんに大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。
いつも本当にありがとうございます。




さて、私は創価学会の非活動家になって久しいのですが、活動家だった頃は聖教新聞の多部数の購読やら財務をすることが当たり前でした。
創価学会の組織に献身することが信仰だと勘違いしてましたから「金を出して当たり前」のような感覚でした。


厄介なことに、この会員の献身を「当たり前」と思い込むあまり、創価学会の多くの幹部が会員に対して財務の振込や新聞の多部数購読を"強要"したりすることです(かつての私もそうだったと思います)。
しかし彼らには(当時の私も含めて)多くは罪悪感がなんらありません。それは彼らにあっては「強要」でも何でもなく「信仰活動」の一環なのであって、会員にお金を出させることで「福運をつけさせてあげている」という感覚なのです。ここに組織の構造上のトリックがあるのだと私は思っています。


加えて創価学会の末端組織は、地域にネットワークを張り巡らせており、巨大な互助組織としての側面も兼ね備えています。いわば創価学会に籍を置いているというのは、一つのコミュニティに所属しているようなものなのです。
その組織にあって、幹部のうち出しに背く場合、それは「コミュニティの中で関係性を失う」ということを意味します。
創価学会組織の中にとっぷりつかって生きている会員とすれば、これは乗り越えるのは容易ではないでしょう。



幹部が財務や新聞多部数購読を強要してくるのを、非会員さんの目から見れば「そんなの断ればいいじゃないのさ」と思えるのは当然です。
それは私のような非活になることを意味するのであって、場合によっては地区組織から「反逆者」とか「裏切り者」「退転者」の汚名を着せられることになりかねないのです。



私はすでに全てをお断りして、とっくに「非活」になっています(私は地域組織に何と言われているかは知りませんし、私を非難したい方には言わせておけばよいと思っています)。
ところが、長年創価学会というコミュニティの中で生きて来てしまっていると、人はその関係性を失うことを恐れるものです。ましてその組織の中で自身が評価され、一定の地歩を占めているのであれば尚更のこと。それらを失い、組織外に放り出され、仏敵認定されるのは避けたいというのが会員の心情かと思います。



「善意で金を信徒に出させる」という幹部の精神性は、実は創価学会にも日蓮正宗大石寺にも共通して存在する深い病巣なのであって、そこから目を覚まさない限り、どこの教団に行っても搾取される構造から抜け出せなくなるのかと思います。