気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

一念三千は実体ではない。





いつもみなさん、ありがとうございます。



そもそも天台智顗の『摩訶止観』を読めばわかることなのですが、天台には「一念三千」という用例は存在しません。「一念三千」は妙楽大師湛然の用例であり、天台大師智顗は「一念三千」という語を用いていません。
止観から見れば、「一念三千」は己心を見る一つの方法論、見方なのであって、実体ではありません。
「一念三千」をあたかも実体の如く扱うのは大きな誤りかと思いますし、『摩訶止観』の本意にもそぐわないでしょう。


日蓮は『唱法華題目抄』において、唱題を止観の代替としました。日蓮は天台を否定したというより、その立ち位置が異なるということなのでしょう。
ですから純粋な日蓮門徒としての立場に立てば、唱題によって止観の代わりとするということになろうかと思います。



私が唱題行になんらかの意味を見出せると考えるなら、この「止観の代替」という意味でしかあり得ないと考えています。


題目を唱え、一心三観を通じて何を見るかというのが、現在の私の中の唱題行に過ぎません。
まあその部分については、私の個人的な信仰になってしまうので、このことに関してはこのブログでは語らないことにしたいと思っています。