気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

信心の血脈のルーツ。





いつもみなさん、ありがとうございます。


今回のテーマは創価学会員さんがよく使われる「信心の血脈」という言葉です。



大石寺の信徒さんは、創価学会を批判される際に「信心の血脈とは何事だ」と批判されます(笑)。要するに大石寺さんからすれば「法主に代々に伝わる法水」の血脈が大切ということで、それへの信を違えてはならないということなのでしょう。



ところで、創価学会が「信心の血脈」という時にそのルーツはどこにあるのかと言えば、それも実は大石寺なんです(笑)。
元々は大石寺9世日有にそのルーツを見ることができます。
例えば堀日亨が註解を記した『有師化儀抄註解』を見てみましょう。


「信心と血脈と法水は要するに同じ事になるなり、信心は信行者にあり・此信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ有様は・人体に血液の循環する如きものなるに依りて・信心に依りて法水を伝通する所を血脈相承と云ふが故に・信心は永劫にも動揺すべきものにあらず・撹乱すべきものにあらず、若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし、爰に強いて絶えずと云はば其は濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり、信心の動かざる所には・幾世を経とも正しき血脈系統を有し仏法の血液活発に運行す」
(富士宗学要集1-176ページ)



以前にもこのテーマについては記事を書いています。例えば以下の記事です。


「『信心の血脈』のこと」


この日顕氏の説法にも見られるように、本来「信心の血脈」というのは大石寺でも散々言われてきたことなのです。法華講さんなら実感されると思いますが、大石寺ほど信徒さんに「絶対の信」を強調する団体ってなかなかありませんよね(笑)。まあ、要するに疑われるといろいろ教団のボロが出るので、あまり疑ってくれるなってことかと勘ぐってしまうんですけどね(笑)。


ですから大石寺法華講さんが、創価学会員さんの言う「信心の血脈」を否定するなら、それは元々は大石寺さんが昔から言われていたことなんですよってことなのです。