いつも皆さん、ありがとうございます。
さてTwitterでいろいろな方と話すうちに、当たり前と思っていたことが実はそうではないと気づかされることがあります。
例えば『開目抄』のことです。
身延曾存の御書『開目抄』真蹟は明治8年(1875年)に身延の火災で焼失しましたが、慶長9年(1604年)に久遠寺21世寂照院日乾が曾て存在した真蹟を元に原文と写本の対照をしており、岩波文庫収録のものはこの日乾の見解を根拠としていますので、それなりの信用性を担保していると私は考えています。
しかし全編にわたる上古の写本が存在せず、本来のテクストがどこまでなのかというのは検討の余地があることに気付かされたんですね。
確かに日興写本(北山本門寺蔵)は存在するのですが、これは『開目抄』の要文であり、全編の書写ではありません。
そして更には『富士一跡門徒存知事』には以下のようにあります。
「一、開目抄一巻、今開して上下と為す。
(創価学会版御書1604ページ)
つまり日興自身は生前『開目抄』真蹟を見ていないということがわかります。
『開目抄』のテクストの再構成に関しては、久遠寺21世寂照院日乾の見解からもう一度考え直さないといけないのかもしれませんね。