気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

庶民の信仰の弊害。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会員さんはよく「宿命転換」とか「人間革命」とか「勝利」とか、そういう言葉を多用されます。


私自身はすでに非活の人間なので、そういった語になんら共感は抱かないのですが、戦後の創価学会がそのような語を使い、信仰活動、布教活動を展開していったことは周知のことです。


日蓮自身は一切の権威に拠らない、屹立した信仰者でありました。その意味で教義の整合性や矛盾はさて措くとしても、かつての昭和の創価学会が庶民の信仰として、自身で自身の課題を克服する、その依拠になったことは確かなことのように思われます。


例えば日蓮宗とか、既成の教団や寺の僧侶や権威に拝んでもらうのではなく、自分たちで信仰をして、自分たちで運命を切り開く、そういう力を与えた、そしてその信仰の教学的な基盤を与えたというのが昭和30年から60年代くらいの創価学会であったと思っています。
ですから、それらの思想的洗礼を受けた人たちは日蓮を「民衆仏法」だと思っている。その先入観からなかなか抜け出せないんですね。


創価学会の出現の意味は、その意味であらゆる宗教的権威に拠らない、庶民的な信仰形態とそのための互助組織を構築したということであり、その弊害として真蹟遺文の日蓮の実像を軽視し、日蓮の思想を知りもせずに自分たちで勝手に解釈できると思い込んでしまったことかと私は考えています。その結果、自己肯定と驕慢の極みに気づかず、自分たちを「創価学会仏」と自称して憚らないメンタリティを知らず知らずに作ってきてしまったのでしょう。