気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

悪を責める?





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて2017年12月2日付の聖教新聞4面に「悪を責める」と題して以下の御書が引用されていました。



「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし」
(『南条兵衛七郎殿御書』創価学会版御書1494ページ)



ここでいう「法華経の敵」って日蓮のここでの文脈では一体誰なんでしょうね。
こういう切り文だけで御書を読むと、全体を見失ったり誤解する恐れがあることは言うまでもありません。
引用の箇所から少し遡ってみましょう。



「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親・師も師にこそよれ・主も主にこそよれ・釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ、この親と師と主との仰せをそむかんもの天神・地祇にすてられ・たてまつらざらんや」
(同ページ)


つまり「主師親の三徳」を具備した仏は釈迦一人だけであって、これに背くものこそが「法華経の敵」ということでしょう。その意味で大石寺日蓮本仏説は日蓮の思想でも何でもないと思います。
まして自分たちの教団を「創価学会仏」と称した宗教団体など、釈迦や日蓮さえも卑下しており、日蓮の亜流でさえないと思います。



付言しますと、この聖教新聞の記事では「法華経は、誰人にも仏性があると説く」と書いてありますが、「一切衆生・悉有仏性」と書かれているのは大乗涅槃経であって法華経ではありません。法華経には万人の即身成仏など説かれてはいません。例えば法華経では二乗成仏の「記別」とかが説かれるだけなんですけどね。



こういう切り文を持ってきては勝手な解釈を施し、「悪を責める」と称して信徒に他教団を愚弄させたり攻撃させたりする、そんな宗教が果たして本当に真の宗教と言えるのでしょうか。甚だ疑問です。