気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

日興の「本門寺」構想。

f:id:watabeshinjun:20171125125144j:plain



いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回のテーマは、日蓮の本門戒壇説が、日興にあっては「本門寺」と解釈されてきたのではないかという点です。


信憑性ある遺文から判断して、日興が「戒壇」という語を用いたことはありません。
日興が主張していたのは『富士一跡門徒存知事』や『三時弘経次第』に見られるように「本門寺」という思想です。


これは師匠である日蓮の「戒壇」構想を、日興が継承し、その結果生み出されたものが「本門寺」という構想であったのではないかと私は考えています。
日蓮自身が構想していた本門の寺は、本堂で授戒ができる戒壇としての機能を持っているものでしたから、その意味で考えれば日興が『三時弘経次第』で図示した富士山を本門寺とする考え方こそが、実は日蓮自身の純粋な戒壇説の継承であろうと思うんですね。


富士宗学要集に収められている日興の『三時弘経次第』では、日興自身の図が文章に置き換えられていますので、日興自身の真意がなかなか伝わりにくくなっているように思います。そこで実際の形に近い図を挙げてみます。記事冒頭画像はその図形です。


この図から考えると、日興の思想がよく見えると思います。
日興は「久成の釈迦仏」を根本とし、その付属の弟子を「上行菩薩日蓮」と位置付けています。そしてその根本となる場所を富士山の本門寺としたことになります。





参考文献:
菅原関道「富士日興門流の戒壇思想」、本化ネットワーク叢書『本門戒壇論の展開』所収、本化ネットワークセンター、2015年。