気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーのこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて私はここでいろんなことをいろいろ書きますけど、その基本姿勢として「先入観を極力捨てて事実を見ていく」というものです。



今日具体的に挙げたいのは、池田大作氏と対談したリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏のことです。
彼は統一ドイツ最初の大統領として知られています。ローマ・クラブの会員でもありました。


創価学会員さんの多くが「池田先生と会う人は素晴らしい人」と無前提に持ち上げることが多いですが、果たしてその姿勢は如何なものかと思います。


別段、私はヴァイツゼッカー氏をここで批判しようとは思いませんが、いくつか指摘しておきたいことを書いてみます。



ヴァイツゼッカー氏は1985年5月8日、連邦議会において「過去に目を閉ざすものは現在においても盲目となる」という有名な演説を行います。この演説は『荒れ野の40年』という標題で日本でも広く知られています。この一節により歴史認識の批判として使われることも多かったように記憶しています。


ところが、演説の3日前にコール首相とアメリカのレーガン大統領がナチス親衛隊が埋葬されているビットブルク墓地を訪れたことに対して、ヴァイツゼッカー氏はレーガンに感謝の意を表明しています。
またヴァイツゼッカーの演説文の中には謝罪にあたる部分が存在せず、「民族全体に罪があるということはない」「当時子どもだったり生まれていない人たちが自分が手を下していない行為に対して罪を告白することはできない」とも発言しています。



私がここで提起したいことは、ヴァイツゼッカー氏を批判することにあるのではなく、教団側が表面的に流す真実には虚飾が少なからず存在し、その衣装を剥ぎ取って実像を見なければ真実はわからないということです。
虚飾を捨てて先入観を捨てるということは、創価学会員さんや大石寺の信徒さんにとって痛みを伴うことでしょう。しかしそれをしないと、一面的な真実だけしか知ることなく、思想は固定化され可塑性を失う結果になると私は思います。それがあるからこそ彼らはカルトと呼ばれることになるのではないでしょうか。