気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

不動と愛染と虚空蔵。





いつも皆さん、ありがとうございます。



さて今回は日蓮曼荼羅に描かれた不動と愛染の梵字にについてです。


曼荼羅の向かって右側には不動明王である「カーン」が縦に長く伸ばして書かれ、左側には愛染明王である「ウン」が細長く伸ばして書かれていると言われています。




実はこの「不動」と「愛染」を左右に配して祀る形式が真言に存在しまして、これは「三尊合行法」と言います。これが定式化されたのは真言宗立川流の文観『三尊合行秘次第』です。



「三尊合行法」では左右に不動愛染を配して、中央に虚空蔵を置きます。
実は中央の日蓮の花押こそが、梵字で虚空蔵を指すとする説があります。




日蓮の花押が、梵字の「マニ」を指し、 「如意宝珠」を指すとする説を採るなら、これは左右に不動愛染、中央に虚空蔵の持ち物である「如意宝珠」を配することになり、まさに「三尊合行法」と合致します。


例えば『清澄寺大衆中』(真蹟曽存)では「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せしことを不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし」(学会版御書893ページ)とあるように、日蓮が立宗にあたって虚空蔵に願を立てたのは多くの創価学会員や法華講さんならすでにご存知のことでしょう。この『清澄寺大衆中』には「虚空蔵」の語が計3カ所存在します。


また『善無畏三蔵抄』(真蹟推定断簡)には「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云」(同888ページ)とあることからもわかります。



ただ日蓮真言宗立川流の「三尊合行法」から影響を受けたとする仮説は、そもそも「三尊合行法」の成立年代を再検討しないと成立しない仮説です。推定ですが、文観(1278〜1357)の『三尊合行秘次第』の成立は1338年頃と考えられており、日蓮在世中のものではないことが明確です。



とすると、あくまで私の妄想に近い仮説ですが(笑)、真言宗立川流創始者とされる仁観(?〜1114)が虚空蔵曼荼羅に関する行法をすでに立てていて、それをなんらかの方法で日蓮が摂取したことが仮説として考えることができるかもしれません。仁観に関する文献は後世の彼への弾圧によって失われてしまい、その全貌がほとんどわからない状態にあります。



そもそも日蓮は若い頃は覚鑁の『五輪九字妙秘密義釈』を書写する真言の徒でした。また立教開宗の後もしばらくは「法華真言」未分の立場であったことは『守護国家論』(真蹟曽存)等の著作からも明らかです。