気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

『本因妙抄』本文の改竄。

f:id:watabeshinjun:20171030112706j:plain







(上の画像は堀日亨編『富士宗学要集』第1巻に掲載された大石寺6世日時による『本因妙抄』の写本です)





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今回は以前「日蓮本仏論について」という記事の中でも書いたことですが、『本因妙抄』の大石寺の改竄についてです。



多くの法華講さん、また創価学会員さんならご存知のことですが、大石寺では『本因妙抄』を『百六箇抄』と並んで、両巻血脈抄と称して大石寺に伝わる相伝だと主張しています。


さて『本因妙抄』には以下のような記述があります。


「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値ひ奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」
創価学会版御書全集、807ページ)


「大唐貞元二十一年」は西暦805年に当たりますが、これは本文の改竄です。


冒頭の画像をよく見比べて頂きたいのですが、ここの実際の日時写本は「大唐貞元二十四年(廾四年)」となっているのがわかるかと思います(画像本文の3行目下です)。また『三大章疏七面相承弘決』でも伝教は「大唐貞元二十四年」(西暦808年)に唐で相伝を受けたことになっているんですね。


この記述は学会版御書で「貞元二十一年」で、更には『富士宗学要集』第1巻でも同様「二十一年」となっています。つまり冒頭の画像を見比べれば一目瞭然で、大石寺はこの「二十四年」を「二十一年」に改竄しているんです。




なぜこのような改竄が行われたかというと理由は簡単で、実は実際の史実と記述が異なってしまうからなんです。
例えば『報恩抄』には以下のような記述が存在します。


延暦二十三年七月御入唐西明寺の道邃和尚仏滝寺の行満等に値い奉りて止観円頓の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言相伝し同延暦二十四年六月に帰朝して」
(同304ページ)


延暦23〜24年は西暦にすると804〜805年にあたります。
『報恩抄』の記述によれば、伝教大師最澄は西暦805年に日本に帰ってきていることになります。これは「伝教大師伝」の記述とも一致します。
そうであれば「808年に唐で相伝を受けた」とする『本因妙抄』の記述は矛盾になってしまうんですね。そのため、大石寺ではこの記述をあえて改竄したと考えられます。


これが改竄である証拠はもう明快ですよね。上述の日時の写本では「二十四年」(廾四年)と書いてあるんですから(笑)。



これがもし仮に「大唐貞元二十一年」が事実であるとするなら伝教大師の年齢は「四十二歳」ではなく「三十九歳」でなければならないはずですし、干支も「乙酉」ではなく「壬午」でなければおかしいはずです。それがそのままになっているのは、改竄としては若干お粗末な印象を受けます。尻尾の見える猿芝居でしょう。


というわけで、『本因妙抄』もまた単なる偽書に過ぎないと私は思います。