気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

戸田の個人授業。





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さて、今日は戸田城聖氏から池田氏にされたと言われる"個人教授"の件についてです。


創価学会の活動家さんなら多くはご存知のことですが、昭和24年秋頃、池田大作氏は戸田の事業失敗からその債務に追われて困窮の度を強めていました。その結果、池田は通っていた大世学院(後の富士短期大学)を中退することになります。これについて池田氏も「体が悪かったのも中退の原因でしたが、本当のところ、戸田先生がやめろ、といわれたんです。"おれが教えてやるから十分だ"というのです」と語っています(央忠邦『日本の潮流』)。


これ以降、池田氏は戸田から個人教授を受けたとされています。当初は毎週日曜でしたが、後に毎朝30分〜1時間ずつの授業になります。
この時の教材は以下のようなものだったようです(草柳大蔵「"手づくり人間"池田大作」『文藝春秋』昭和44年9月号)。


矢田俊隆『世界史』
熊谷幸次郎『日本史ー概説と問題点』
鵜飼信成『憲法
高田保馬『経済学原理』
ガモフ全集


戸田氏がこの教材を全て使ったのかどうかはわかりませんが、これらの本が教科書代わりに使われて授業がされていたようです。



ところで、この話、戸田と池田の二人だけの個人教授かと思っていたのですが、実はそうではないようです。
秋谷栄之助は昭和26年の入信ですが(当時は秋谷城栄)、池田とともにこの受講者の一人でした。事実、秋谷氏は「(八時半から)九時までの三十分、かならず博学の戸田会長から雑談風の講義を聞いた。池田現会長も仲間であった」と語っています(『文芸朝日』昭和38年8月号)。



以上から推察して、実態として毎朝30分から1時間程度の雑談風の講義を、教科書風の本を題材としつつ、戸田が行い、受講者は少なくとも池田と秋谷の二人がいたということでしょう。




参考文献:
溝口敦『池田大作「権力者」の構造』講談社+α文庫、2005年。