気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

さまざまな情報提供を頂いて。





いつもみなさん、ありがとうございます。




さて私は教義の問題も小難しく書いたりしますけど、現状の創価学会やら大石寺やら、その信徒組織の現状を色々調べてこのブログに書くことも多いです。このことは読者もご存知のことでしょう。


最近、多方面から情報提供をしてくださる方が増えました。本当にありがとうございます。おかげさまで学会の現状もいろいろわかってきまして、池田氏の健康状態や歯のこと、スピーチ代筆の実態、SGI理事長のこと、さまざまな実状がだんだんわかってきました。


情報提供される方の中には信濃町の学会幹部や、本部職員の方も何人かいらっしゃいます。いつも本当にありがとうございます。あえて身分が割れないように表現を変えて書かせて頂いていますが、その点はご容赦ください。
でも思うのですが、このような情報提供をされる方が増えれば、創価学会も少しずつ変わっていく気もします。
今さら衰退が決定している組織なので、生まれ変わってほしいなんて私はこれっぽっちも思いませんけど、少なくともその内部で苦悩している会員さんのことを思えば、そのような告発もまた無意味なことであるとは思わないんですね。


私が考えていることは、いずれ来る創価学会組織の瓦解以降のことです。
組織に従順な会員さんが、一度組織が崩れた時に起こるのは、たいてい


①池田名誉会長を絶対視して全てを悪者に仕立て上げる原理主義

大石寺を絶対視して全てを悪者に仕立て上げる原理主義

③かつての過去の創価学会を絶対視して全てを悪者に仕立て上げる原理主義


まあ他にもパターンはあるでしょうけど(笑)、要するに自分が信じてきたものを絶対視してそれを打倒すればよいとする安易な発想に陥ることが予想されます。三人組の方はそういう考え方です。


どんな思想を持つのも自由であり、自己責任なんですけど、少なくとも創価学会組織崩壊の後に、屹立した信仰者として一人一人が生きていくことが必要なことかと思うんですね。
そうでないと、その方はまた大石寺の信徒さんとかに言われて罰とかに怯える日々を繰り返すことになります。恐らく大石寺の方が細々と生き残ることと思いますからね。


私にとって創価学会の組織なんて、今となってはどうでもいいことです。
創価学会が滅びようがなくなろうが、私の関知するところではありません。むしろ昭和30年代に現れた時代のムーヴメントとしての創価学会は、すでに歴史的な意義を終えているので、無くなった方がよいでしょう。


私がブログを書いている最大の理由は、組織から離れた後、自由に思索できる人、屹立した思想を持てる人、そういう人を一人でも多く出すことであって、そのための助けになれば良いのかと今は思っているんですね。


本来の私のブログ出発の趣旨は自己のやってきてしまった過去の総括と反省、そして教義の再検討でした。それは今後も継続してやっていきます。
けれどたくさんの方からメールを頂き、多くの激励や質問、応援を頂く中で、少なからず私のブログが組織と活動との狭間で板挟みになり苦しんでいる学会員さんの拠り所になっていることに少しずつ気づくようになりました。



私はたまたま先に「非活」になっただけで、「非活」メンバーとして考えれば考える、言わば先輩でしょう(笑)。何かアドバイスできることもあるでしょうし、その皆さんが私を越えて自由な思索をそれぞれできるようになったら、これほど幸せなことはありません。


どうか活動に苦しんでいる多くの会員さん(特に若い世代の方)のためにも、またいろんな情報提供を頂けたらうれしいです。
いつもたくさん訪問いただき、またお読みいただき、またいろいろ教えていただき、本当に感謝しています! ありがとうございます。





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追記:
信濃町の本部職員さんや幹部さんで私のところに情報提供をされる方は、いろいろなアカウントで、私と連絡を取られる方が多いですが、情報提供はどんどん本ブログで紹介していきたいと考えています。改めていつもありがとうございます。