気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

現証から見れば。






いつもみなさん、ありがとうございます。


ところで、「気楽非活さんは文証ばかり。大切なのは現証だ」と言われる方がいます。



もしも現証だけで言えば私は今とても幸せです。なにしろお金も貯まる、ほしいものは何でも買える。このブログを通して長井秀和さん他、たくさんの人たちとも知り合えたし、たくさんの友人ができました。ツイッターアカウントも今年4月に開設したばかりで、半年でフォロワーも現在1,900人を越えてまだ増え続けています! 本当に感謝しています。



「気楽非活さん、そんなこと言ってると仏罰が出るよ。仏法は勝負だよ」なんてたまに言われますけど、事実として非活になってから毎年数百万円を超える貯金ができるようになりましたし、好きな時計も好きな靴も全部買えました。ブログへのアクセスは一日に数千件(!)あり、一時患った病気も無事に完治。元気になって毎日楽しく友人たちと食べて飲んで暮らしています!


「仏罰が出る」とか私を罵る方がいますが、仏罰などというものは私には感じられません。むしろ非活になってから、ずいぶんと考え方に余裕ができました。睡眠時間も増え、選挙戦で無駄にFを取る必要もなく、聖教新聞の販促に煽られない、ゆとりのある暮らしに変わりました。


さらに加えて、自由な思考をすることができるようになりました。今までは組織の教えが基本でそれを例証するための教義や教学の学習でした。それが一度、組織主義や池田絶対論の桎梏が取れると、発想が自由になり、複眼的な視点を重視するようになりました。


マルクスは「全ては疑い得る」と言いました。一切のものは全て疑うことができるわけで、そこから一から全てを見直すことが私はできるようになったと思うんですね。


絶対のものなんてありません。組織なんて絶対ではありませんし、池田大作なんて絶対でも何でもありません。大石寺なんて絶対でも何でもありませんし、法主が絶対であるはずなどありません。
戒壇本尊が絶対でもありませんし、南無妙法蓮華経が絶対でもありません。
もっと言ってしまえば、法華経が絶対ではありませんし、日蓮が絶対だとも私には思えません。
そもそもどこかに「絶対の正しい法があって、それを信じれば救われる」という安易な考え方から早く卒業することです。