気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

華厳経と法華経。






いつも皆さん、ありがとうございます。



さて今日のテーマは「華厳経法華経」になります。


日蓮は「華厳経法華経でどちらが優れるのか」という問いに『本尊問答抄』において「臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし」(御書370ページ)として法華経を優れているとしています。
ここで日蓮の根拠になっているのは天台の五時八教判で、華厳経法華経はともに円教に属しますが、華厳経は別教も兼ねているので、純円教の法華経には及ばないとする理解です。



で、指摘してしまうと、天台教学は漢訳経典の字面から、法華経の至上性を主張しただけの教理で、現代においてはこれに有効性も普遍妥当性もありません。無量義経法華経の直前に説かれたものでもありませんし、法華経他の漢訳経典は釈迦の滅後に数百年後に生まれたものです。無量義経にはそもそもサンスクリット本が存在せず、偽書である可能性が現代では高いとされています。


それにそもそも天台と華厳は大乗思想の頂点に位置する二大巨頭です。空仮中三諦円融の天台教学と十玄六相で法界縁起の妙旨を説く華厳思想との優劣がそんな簡単につくものでしょうか。


創価学会員さんはあまり知らないことですが、そもそも「教相判釈」というのは仏教の開祖なら誰でもやることです。五時八教はあくまで天台の教義に過ぎず、そこに普遍性があるものではありません。


ですから空海は『秘密曼荼羅十住心論』および『秘蔵宝鑰』で、天台を第八住心の「一道無為心」とし、その上に華厳を第九住心の「極無自性心」と位置づけ、華厳を法華よりも上としました。


つまり日蓮は天台教学の五時八教判を言わば借りて、法華経の至上性を主張しているに過ぎないのです。


繰り返しますが、そもそも「五時八教判」に仏教諸派に通底する普遍妥当性は存在しません。もしも内容的に華厳経より法華経が優れているとするなら、きちんと華厳の十玄六相法界縁起と空仮中三諦円融が、どのように違ってどのように優れているのかを思想的に説明する義務があるかと思います。まあ多くの創価学会員さんも大石寺の信徒さんもそんなことは考えられないことのようですけど。