気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

自分で答えを出すこと。







いつもみなさん、ありがとうございます。




さて私はこのブログで創価学会大石寺の教義についていろいろ書いています。
私は私なりにいろいろ読んだことを考えた上で「こう書いてあるのだからこう考えるのが自然ではないか」ということを述べているだけです。
言わば判断材料を提供しているだけです。



で、それを信じるのも自由ですし、それを批判されるのも別に自由だと思うんですね。
要するに書いてある事実は消せない。私が根本にすべきことはそこにあるのであって、私の言っていることを批判されるならきちんと書いてあることや歴史的な事実に即して一人一人が考えることが大切かと思うんですね。
要は「ちゃんと読む」ことかと思います。



真蹟も存在しないし、日蓮が生きていた時代の写本もない。あるのは日蓮の滅後数百年経過した後の写本ばかり。しかもそこに書かれてある内容が他の日蓮の遺文中に全く書かれていないようなことが書いてあれば、それは誰だって「おかしい」と思うのではないのでしょうか。


ですから、私のブログを読んできちんと検証をされればよいと思うんです。別に教義に関心がないなら「ふーん」くらいでもいいでしょうけど(笑)、関心があるなら実際に遺文を読んで自分で答えを出すことが大切でしょう。


答えは誰かに出してもらうものではなく、自分で出すものです。創価学会大石寺といった教団が出すものは借り物に過ぎません。
それをご自身で信じるならそれは自己責任で自由ですけど、自分で考えて自分で結論を出すことが必要なのだと思うんですね。


私のこのブログを評価してくださっている方も多く、その中には実際にいろいろ文献を読み出して、いろいろメール等でご意見をくださる方もいらっしゃいます。ありがとうございます。その中には大変示唆に富む、貴重なご意見も多く、時々ブログでも許可を得てから転載することも増えてきました。



口汚く私を罵る方も多くいますが、おそらくそれらはご自身の宗教的な立場から、それらを自己否定することができず、感情的になられてしまうからなのだと思います。
実際、かつての昔の私もそうでした。感情的にいきり立っては、敵対するものを罵ったりしてきました。今の自分にもそういうところがまだ残っているのかもしれません。意識して客観的で建設的な議論ができるように努力はしているつもりです。


私は自分の立場に別に固執しているわけではありません。様々な方からご意見のメールも頂き、少しずつ考え方も変えてきました。
生きることは変わることだと思っています。最初から完成されたドグマとしての教義を信じるのではなく、自分の中に信仰の拠り所を自分の力で築いていくことが大切なのではないでしょうか。その時にそのことをわかって頂ける方がいることはとても幸せなことで、私をそのような読者の方々こそ、本当の意味での「同志」であると思っています。
いつもありがとうございます。私は本当に幸せものだと日々感じています。



追記:
最近、ネットやSNSでの私に対する批判も多いのですが(まあ、理由もわかりますけど・笑)、同時にこんな私のブログを擁護してくださる方も多く、「気楽非活さんは何かを読者に押し付けているわけではありません」等々、好意的に私のブログを読み評価してくださる方も増えてきたように感じています。本当にありがとうございます。
私は自分で自分が正しいのかどうか、あまりよくわかりません。ただ私は虚心坦懐に読んで自分で考えたいだけなんです。たとえ自分が間違っていたとしても、それは自分の責任なのであって、間違えるにしてもきちんと自分の頭で考えた上で自分の責任で間違えたいと思っています(笑)。