気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

随縁真如の智について。





いつも皆さん、ありがとうございます。
さて今回は「随縁真如の智」についてです。


どういうわけだか、創価学会はこの語がとてもお気に入りのようで、最近ですと2017年10月1日の聖教新聞の社説でも取り上げられているほどです。
この語は「不変真如の理」と対になる語とされており、不変の真理に基づいた上で、これを応用していくことが「随縁真如の智」であるとされています。
池田氏の『御義口伝講義』以降、これらは師匠を原理として現実の上に弟子が応用していく論理として創価学会では普通に使われています。


まあそれはそれで構わないのですが、本来「随縁真如の智」とはどこの教義なのでしょうか。


日蓮の遺文に即して考えれば、この「随縁真如」の語が用いられているのは『立正観抄』『御義口伝』『御講聞書』の三つのみです。「不変真如」を加えると『十八円満抄』が加わるだけです。他の御書には用いられていません。
『御義口伝』も『御講聞書』も『十八円満抄』『立正観抄』も真蹟不存です。それ以外の御書には1箇所も用いられていません。
わずかに信憑性が高いのは『立正観抄』のみでこれには久遠寺3世日進の写本(正中2年3月)が残されているのみです。



さらに加えて言いますと、この「随縁真如」という教義は法相宗華厳宗で本来言われていたものが天台宗に入ったものです。
例えば華厳宗法蔵の『起信論義記』では真如に随縁と不変の二義を立て、不変義は真如門に、随縁義は生滅門に配されています(大正蔵44、255c)。また法蔵には『華厳五教章』でも随縁真如について述べられています(大正蔵45、500a)。


話が長くなるので飛躍しますけど、日本天台宗では『守護国界章』において最澄法相宗徳一との法論に際して使った語がこの「随縁真如」です。


このような語が果たして日蓮の思想として使われることはいかがなものかということです。対外的には日蓮のオリジナルの思想とは呼べないものを平気で使い、その根拠はほとんどが『御義口伝』、それでは日蓮門流の自覚に欠けるというものです。


もしも「随縁真如」の語を日蓮の思想として再評価するのであれば、真蹟遺文中に類似する思想があることをきちんと例証し、その上で『立正観抄』の再評価をすべきでしょう。『御義口伝』の最古の写本は日蓮滅後254年の八品派日経のものが最古であり、日蓮滅後13年に編集されたはずの元の徐行善の科註が引用される『御義口伝』(御書741ページ)など、日蓮の著作として対外的になんら信用性を持たないのですから。