気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

成仏などしなくてもいい。

いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮本仏説に執着をされる方は、やはり教義としての凡夫即仏の考え、すなわち「凡夫本仏論」みたいなのを主張して、創価学会をいわゆる「民衆仏法」として定義づけておきたいみたいです。


まあそれはそれで思想の自由ですけど、私は別に凡夫である私たちに仏性など存在しなくてもよいと思っています。
そんなに成仏したいんですかね?
仏の命が私たちの生命に内在していて、それを顕現することが仏法なんですかね?
別にそれが仏法と考えてもいいんでしょうけど、それがどういうことなのか、私に納得いく説明が創価学会員からなされたことは一度もありません。


私は別に仏になろうと思いませんし、仏の生命が私の中にあるかどうかなんて知りません。なくても別に困りません(笑)。
私にとって重要なのはいかに生きるかという問いであって、本質が空でしかないとしてもそれでも虚数としての本質を求めざるを得ないのが人間の本質であるということです。


釈迦がそもそも仏の教えを説いた動機は何であったのか、その目的が万人の成仏であるとするなら、そもそも「成仏」とはどのような状態であるのかということです。
私は大パーリ・ニッバーナ経を依拠として、釈迦の最後の教えは「本質的な空性を悟り、怠ることなく修行をすること」であると考えています。その「悟り」を例えば「成仏」と言い換えても構いませんけど、私は別段言い換えなくてもよいと考えています。


私は別に成仏などする必要など感じていません。
私自身、別に自分に「仏性」が内在しているとも思いませんし、そんなものはなくても構いません。
「仏性」というものが内在しているのかということと、人間がいかに生きるべきかということは特にリンクするものと私は考えません。