気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

御書を読むこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて最近こんな論調をネットで見かけました。
「最近の創価学会員は御書を読まない。」
「もっともっと読むべきだ。」
「組織で選挙とかやってる場合じゃない。」
「全編拝読した人がどれだけいるのか。」


確かに私もそうは思います。現今の創価学会員にせよ、大石寺の信徒さんにせよ、もっと日蓮の御書を読んだ方がよいでしょうね。


ただ私は力点として「他者に読ませる」ことよりも「自分がどんどん読む」ことに比重を置いています。
なぜかといえば、私自身がもっと学びたいからです。
そもそも創価学会版の御書全集なんてとっくに読み終わって何度も読み返しています。富士宗学要集の相伝部と御書の相伝書を読み比べて、何で書き方が違うんだろうとかそんなことも考えました。要するに知らないと疑問を持つことさえできないんですね。

学会版御書に未収録の遺文も読まなくてはいけないと感じています。例えば『戒体即身成仏義』とか『不動愛染感見記』とか他にもたくさんありますよね。


つまり学べば学ぶほど、自分がいかに何も知らないかがよくわかるということです。ちなみに編年体御書に収録されている日興の『美作房御返事』と『原殿御返事』が通常版の学会御書に収録されていないことをご存知の学会員さんなんてどれくらいいるんでしょうね(笑)。多くは読んでないから知らないんです。


大石寺系の信仰を持つ方なら
日蓮の遺文集を一つ、
富士宗学要集10巻、
日寛の六巻抄と文段、
これは必読かと思います。


ただ他人に「読め読め」と言ったところで興味がなければ読みませんから、私が自分で読むようにしています。ただそれだけです。幸い友人に詳しい方もいらっしゃるので、どんどん教わりながら読んでいきたいなぁと考えています。



興味があれば読めばよいのです。
興味も関心もなければ別段御書も読まないですよね。
「自分の頭で考える」「屹立した信仰を持つ」ということは、自分の力で文献を読むということかと思います。
今の創価学会大石寺信徒さんに私が魅力を感じないのは、信徒さんの多くが読むことに関心を持っていないからです。


あれこれ創価学会やら大石寺やらの未来を語ることも私はしてますけど、その前提として私はいろいろ読むようにしています。
何はともあれ黙って自分で読めばよいのです。
私は真摯に読んでいる人を尊敬します。
読んでない人には無理に教えません。
興味がない人に語っても何にもならないからですね。