いつもみなさん、ありがとうございます。
日興自筆の裏書に云く、『正中二年十月十三日、日妙に授与す、日興在判』
東国は法華の頭領卿阿闍梨日目に之を付属す。
西国三十一箇国は法華の頭領讃岐阿闍梨日仙に之を付属す。
正中二年十月十三日 白蓮阿闍梨日興在判。
駿河国富士山本門寺重須にて書写し訖んぬ、唯授一人の相伝秘すべきなり、日妙に譲り与ふる状、高祖已来の血脈日興慥に給ふ所なり、中ん就く本門寺奉行は日目日代たるべき中に日妙は三堂の本尊を警固申すべき仁なり、末代の為に日代を証人として書き畢んぬ、我門弟等已後に於いて諍ふこと有るべからず候、此の旨に背く輩は謗法の仁たるべし、依つて置き状件の如し。
正安元年十月十三日 白蓮阿闍梨日興在判。」
(富士宗学要集第8巻より96〜97ページ)
以前、ブログにも書きましたが、素直にこの日興の譲状を読めば、日興からの相伝は別に日目だけに限られたわけではないことになります。日代、日仙、日満にもきちんと付属されています。
これが日興の真蹟と仮定するなら「唯授一人」という語が出てくるので、すでに日興はこの語を用いていたことが考えられますが、事実として複数の弟子に血脈を相伝することがあり得たことになり、現在の大石寺の教学で言う「唯授一人」という教義とは若干が実態が異なることになると思います。
追記:
こんな記事を以前書きました。
「後継者は日目か日代か」
ここで「唯授一人」という教義が後世に創作されたと私は推論しています。ただ上述の譲状が日興による真蹟であると考えるなら、すでに日興や日目の代に「唯授一人」という語は存在していたことになります。ただ不思議なのがその実態が現在の大石寺の言う「唯授一人」とは異なることは言えそうです。ここでは事実として日目以外にもきちんと付属されています。