気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

削除された英訳『御義口伝』の序文。

f:id:watabeshinjun:20170902092527j:plainf:id:watabeshinjun:20170902092600j:plainf:id:watabeshinjun:20170902092745j:plain






いつもみなさん、ありがとうございます。

さて今回は先日、Twitterでも書いたことですが、池田名誉会長が書いたとされる英訳『御義口伝』の「序文」の編集の問題です。


2017年8月31日の聖教新聞2面に、英訳『御義口伝』に寄稿された池田氏の序文が掲載されました。
ところが、原文と見比べてみるとおよそ1ページ半ほど削除されています。
具体的に言いますと「序文」は(ix)〜(xvi)ページの8ページで構成されており、聖教新聞掲載文で削除されているのは冒頭の1ページ半、そして最後の4行です。
画像を載せたのでご覧頂きたいのですが、


最初の(ix)ページは全てカット。
次の(x)ページは前半15行をカット。
最後の(xvi)ページは末尾4行をカット。


となっています。
つまり聖教新聞掲載文は本書の(x)ページの16行目から訳されているということです。


聖教新聞掲載文の和訳と英文をたどって読んでみたのですが、忠実には訳されていると思います。
問題はなぜ冒頭の1ページ半をカットして、それについて言及が一切されていないのか、という点です。
ただここには訳者のバートン・ワトソン氏との出会いのこと等が語られていますが、ここを指導としては適切でないからカットしたと言うのは理解はできます。


まあ必要ないからカットしたということなんでしょう。そこに悪意はあまり感じませんでした。ただ聖教新聞の媒体に載せる以上、原文と異なっていることについて「抄録」等の言及がされて然るべきです。そういった事実を曖昧にする聖教新聞の姿勢に、私はあまり良い印象を受けませんでした。さらに言ってしまえば、本年2017年4月に訳者のバートン・ワトソン氏は千葉県の鎌ケ谷市で亡くなられています。訳者への敬意や感謝、弔意を持つのならば、それについても言及されて然るべきです。


カットされている前半部分の内容を簡単に書いてみると、

①訳者のバートン・ワトソン博士は中国文学の深い理解と司馬遷の『史記』等の英訳で広く知られる翻訳者である。

②1973年に初めてワトソン氏と会った時に鳩摩羅什訳『法華経』の英訳を池田氏から提案したこと。

③ワトソン氏による英訳された鳩摩羅什版の『法華経』は人類の未来を明るく照らす力強い指標になった。

④1992年にワトソン氏と再会した折、話題が『御義口伝』に及び、氏が深い興味を示したこと。


とまあ、そんなところになるでしょうか。

本年亡くなられたバートン・ワトソン氏に謝意と弔意を示すならば、きちんと削除された部分も紹介することが仏教者の姿勢として正しいのではないかと私は思います。