気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

池田名誉会長の兄弟。





いつもありがとうございます。
さて創価学会では永遠の指針として「一家和楽の信心」と言いますが、果たして池田名誉会長は「一家和楽」であるか、今日は名誉会長の家族関係を少し見てみたいと思います。




『週間読売』1976年10月30日号によれば、池田大作氏の兄弟は以下のようになるそうです。
全部で10人兄弟です。


池田喜一(長男、ビルマで戦死)
池田増雄(二男、学会員)
小宮開造(三男)
池田清信(四男、学会員)
池田とよ子(長女)
池田大作(五男)
池田栄一(六男)
池田隆市(七男)
池田正利(八男)
山越いね子(次女)


池田大作氏は兄弟の五男になります。実家は大森海岸の海苔屋さんでした。実家の場所はJR大森駅京急大森海岸駅との間でして、現在はイトーヨーカドーになっています。昭和初期の当時、この周囲は漁師町でして、多くの漁師さんが働いていたそうです。
イトーヨーカドーから少し行ったところに密嚴院というお寺がありますが、ここに池田家のお墓が存在します。



「密嚴院の喜田啓照住職によると、『増雄さんが死に、まったくおつきあいがなくなっていたのですが、このところ、増雄さんの息子の一雄さん盆暮れにはお菓子などをもって挨拶にきてくださるようになりました』

一雄は学会員である。が、子之吉の墓を一般世間並みに維持していたのだった。」
(週刊『宝石』1996年4月号、光文社)


これを読むと、池田家の墓を当時は池田名誉会長の甥にあたる一雄さんが維持していたことがわかります。
この墓は真言宗・密嚴院(東京都大田区大森北)に存在します。


池田大作氏は密嚴院の墓を創価学会の墓地に移そうとしたことがあるようです。そのためかどうかはわかりませんが、兄弟同士の関係は疎遠なもののようです。
結果として大作氏は密嚴院からの墓の移転を断念し、増雄氏経由で分骨を行い、高尾墓園に新しい墓を建立することで決着したようです。


母・一(いち)の葬儀の際、大作氏は家の宗派である真言宗を呼ばずに大石寺細井日達を呼んで読経させています。
父・子之吉(ねのきち)氏は「強情さま」として知られ、最後まで高尾山黒滝不動の信者でした。池田名誉会長は創価学会に入る以前から父と折り合いが悪かったことはよく知られていますが、臨終の間際に創価学会の信心を認めたと言われています。


大作氏は墓の移転をしたいと考えていたのですが、結果的にできておらず、墓はまだ密嚴院にあるそうです。兄弟関係が疎遠になっているという推測がこのあたりからされることがあります。また10人いる兄弟のうち創価学会員は3人(増雄、清信、大作)で、全員が入信されているわけではありません。