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創価学会の非活メンバーによる語り

諸法実相とは縁起のこと。





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さて今日のテーマは「諸法実相」についてなんですが、これについては中村元氏の『龍樹』(講談社学術文庫、2002年)の中でコンパクトに説明がまとめられていましたので、今回それを自分なりに要約してみました。詳しく知りたい方は中村氏の著作をぜひ読まれることをお勧めします。


クマラジーヴァ(鳩摩羅什)は『中論』の漢訳にこの「諸法実相」の語を用いています。ところで中村元氏の指摘では原語を丹念に調べてみると、クマラジーヴァが必ずしも同一の原語をこのように訳しているわけではないようです。



法華経』『八千頌般若』『十万頌般若』の中で「諸法実相」あるいは「実相」の原語を調べると以下の5種類に分けられます。


①「法性」(dharmata)
「法たること」縁起の理が定まったことを意味します。

②「真如」(tathata)
「斯くあること」無自性、空と同義語とされています。

③「実際」(bhutakoti)
これも法性や真如と同義語で、諸法実相の異名と考えられています。実際とは法がそれによって成立している根拠であり、衆生がそれに悟入し復帰する根拠でもあります。

④「法の自性」(dharmasvabhava)もしくは「自性」(prakrit)中観派では法は相互に依り合って成立していると説かれます。つまり法の自性は諸法の相依であり、縁起であり、空であると考えられています。

⑤「真性の特徴」(tattvasya laksana)
「真性」の意味は「それたること」で、チャンドラキールティの註によると空と同義になり、縁起の如実相を意味します。


ナーガールジュナ(龍樹)が『中論』で「諸法実相」について最も明瞭に説いているのは第18章「アートマンの考察」ですが、そこではチャンドラキールティの註、あるいはクマラジーヴァの訳を対照してみても「縁って生ずること」がそのまま「諸法実相」として捉えられています(『中論』第18章第10節)。


つまり「諸法実相」の意義の説明を繙くと、結局のところそれは「縁起」の説明に他ならないのです。
中村元氏は「従来、中国や日本仏教では、縁起と諸法実相とが互いに対立する概念のように考えられてきましたが、その両者は本来同一趣旨のものであるということを留意すべきである」ことを述べているんですね。



大石寺信徒や創価学会員さんは「諸法実相」を「理の一念三千」と考え、「南無妙法蓮華経」が「事の一念三千」と考えていますが、そこには論理の飛躍があり、なんら「諸法実相」に対する考察が見られないんですね。たぶん多くの学会員さんか法華講さんに「諸法実相って何ですか?」って質問すると、ほとんどの方は「それはお題目なんだよ!」くらいのことしか出てきません(笑)。考えることを放棄してしまっていると私などは思ってしまいます。