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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

如来神力品の別付嘱について。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今日は如来神力品第21について、考えてみたいと思います。
実は大石寺創価学会の教学で如来神力品というのは結構重要な章節とされています。
何せこれは大石寺の教学だと「結要付嘱」とか「別付嘱」とか呼ばれていまして、いわゆる「末法」の時代における仏法流布を釈迦から「上行菩薩に託された」とされています。


ところが結論から言いますと、ここでも付嘱が「上行菩薩だけ」に託されたとはどこにも書いていません。


実際に鳩摩羅什訳の如来神力品を引用してみましょう。実際にはこう書かれています。


「爾時仏告。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。百千万億。阿僧祇刧。為嘱累故。以要言之。如来一切所有之法。如来一切之自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。皆於此経。」


この後も重要な部分が続きますが、この辺までの引用にしておきます。
鳩摩羅什訳の如来神力品を通読した限り「上行」の文字が出てくるのは上記の1箇所のみです。ここには「嘱累」の文字も出てきますから確かに委任されたと読むことはできますが、上記の引用を読めばわかるように「上行菩薩ひとりだけに託された」とは言えません。ここには「上行等菩薩大衆」と書かれていまして、別に上行菩薩だけが特別扱いとはなっていないのです。
実際、先日の聖教新聞でも(2017年8月8日付4面)でもこの「別付嘱」について


上行菩薩らは、如来神力品第21において、釈尊から滅後の弘教を付嘱されます。付嘱とは、未来に法を拡通することを託すことです。」


と書かれていまして「上行菩薩ら」という表現にしています。決して「上行菩薩」だけとは書いてないんですね。


ところで、サンスクリット原典を見ると実はこの「上行菩薩」(ヴィシシュタ=チャーリトラ、「勝れた所行の者」の意味)だけに釈迦が語りかけるシーンが出てきます。これがなぜか鳩摩羅什訳の法華経では削除されていますので、引用してみましょう。


「すると、世尊はそのとき、大地の割れ目から現われ出て、集団を率い、集団の偉大な指導者であり教師である、これらの偉大な志をもつ求法者たちの一人であり、かれらの中で最も勝れ、偉大な志を持つ求法者であると同時に、弟子の集団を率い、集団の偉大な教師であるヴィシシュタ=チャーリトラという者に語った。
『よろしい、よろしい、ヴィシシュタ=チャーリトラよ。汝らは、この経説のために、そのようにするがよい。汝らは如来によって、この上ない最高の『さとり』に到達するように成熟させられているのだ。』」
(『法華経』下、岩本裕訳、岩波文庫、151〜153ページ)


これを読むと確かに「上行菩薩」である「ヴィシシュタ=チャーリトラ」は「集団の偉大な指導者」であることがわかります。ただここでは「汝ら」と呼びかけが複数になっていまして、やはり上行菩薩一人だけに託されたとは経文からは即座に判断できません。



そして如来神力品には修行の方法がいろいろ説かれるのですが(受持とか書写とか読誦とかです)、ここには「広宣流布」という文字は出てきません。「広宣流布」が出てくるのは薬王品であり、「広宣此法」「流布此法」が出てくるのは嘱累品なんですね。このへんについては先日ブログにも書きました。


広宣流布は誰に委任されたか」


法華経訳者の岩本裕氏も言われていましたが、この神力品には「内容的に興味深いものは何もない」と私も思います。ただドラマティックにいろんなことを表現しているだけなんだと考えています。