気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

唱題会の意義。

いつもみなさん、ありがとうございます。




さて今日のテーマは「唱題会」について書こうと思います。



創価学会員でないとあまり馴染みのない「唱題会」という会合ですが、創価学会では普通に広く行われています。
要するに「南無妙法蓮華経」というお題目をひたすらみんなで唱える会合です。




どのくらいの時間、お題目を唱えるかというと(学会員さんは普通「お題目をあげる」と言います)、例えば「1時間唱題会」「3時間唱題会」「10時間唱題会(!)」なんてのがあります。


要するに正座してお題目をあげるのは大変ですから、みんなで題目をあげてなんとかたくさんあげようということです。


大石寺はどうなのかよく知りませんが、少なくとも創価学会員にとってお題目をあげることは絶対的な修行の一つであって、たくさんあげればあげるほど良いとされています。
1時間あげると概算で「3,000遍唱えた」と学会員は計算します(1分に50回南無妙法蓮華経と唱える計算ですね。実際はものすごく速く唱える人もいるし、遅い人もいるので一概には言えないのですけど、学会員はだいたい「1時間3,000遍」で計算して題目表とかを塗りつぶしたりします。


学会員でない一般の方からすると信じられないんですが、学会員は「3時間」とか「10時間」の唱題会を行ったりします。さすがに「3時間」は足が痺れます。「3時間」だと計算上は9,000遍のはずなんですが、学会員ではザックリ計算して3時間で「1万遍」とします。


最近では支部1とか地区1とかの御本尊送り(布教活動です)の目標が達成できず、みんなで集まって祈祷師のように3時間もお題目をあげることが多いです。



例えば選挙の拠点なんかでは、投票日当日になると、全有権者の台帳を拡大して書いて壁に貼ったりして、皆で代わりばんこにずーっとお題目をあげてます。



創価学会員はとにかく困ったらお題目をあげます。誰かが病気になったらお題目、布教をするならお題目、とにかくひたすらお題目を唱えます。
日蓮系教団の中でも創価学会は最もたくさんお題目を唱える団体なのではないでしょうか。この点については大石寺さんよりも平均的には創価学会員信徒さんの方がはるかに長い時間、題目を唱えると感じています。
私も活動家時代は100万遍の唱題を何度となくやってきました。祈祷師と呼ばれるほど唱題してきましたし。



ももうそれってやめませんかね?
確かに誰かのために祈ることができるって大切なことです。だけど現実の生活をしながら1時間2時間、3時間、時には5時間、10時間と正座してお題目を唱えることが果たしてどれほど仏道修行として意味があるのでしょう?
困った時のおすがり信心と大して変わらないと思いますし、日蓮の『唱法華題目抄』で考えられていた"止観の代替"としての唱題の意義など少しも見出すことができません。



「何のために唱題をするのか」
「唱題は仏法の教えとして何を目的としているのか」
「その長時間の唱題は果たして止観の修行として意味があるのか」
そういう点をもう一度各人が考え直した方がよいと私などは思いますね。それが私の不信心のせいだというなら、その批判は甘んじて受けますが、今のダラダラあげる学会の唱題会が止観の代替とはどうしても思えない自分がここにいるのを日々感じています。