気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

教義会則変更について。






いつもみなさん、ありがとうございます。




さてブログ「蓮の落胤」はいつもとても参考にさせていただいていますが(いつもありがとうございます)、ここ最近の記事はとりわけ印象深く読ませていただきました。ありがとうございます。


「教義会則変更の片隅で」


これを読むと、2014年の教義会則変更については、現執行部と名誉会長との間に微妙な齟齬があることがわかります。


池田名誉会長は「日蓮を『大聖人』ではなく『上人』、つまりただの一僧侶とする方針には反対」であるとのこと。
ということは日蓮本仏説とそれに付随する戒壇本尊説(そもそも日寛の教学である日蓮本仏説を採用するなら、戒壇本尊真作説も採らざるを得ないでしょう)を池田名誉会長は基本認めているということでしょうね。



一方、現執行部では日寛の教学の創作ぶり、偽書の創作、戒壇本尊の偽作ということにすでにある程度気づいてしまっているということなのでしょう。
ましてや日本の創価学会がこれ以上発展する伸び代もなく、あとは頼りにするのは海外のSGI組織だけということになれば、海外の布教を阻害する最大の要因こそが日寛教学になりかねない。


だからこそ2014年の教義会則変更で「戒壇本尊は受持の対象としない」という玉虫色の結論にしたわけなんですね。


つまり今回の教義会則変更には過去に行ってきた池田名誉会長の指導性の根本的な否定・軌道修正というエレメントが付随しており、その中で現執行部は非常に難しい舵取りを迫られているのでしょう。
事実、会員の中でも現執行部に疑問を持つ人が多く出てきてしまっているわけです。信濃町の本意としては池田名誉会長の面目も保って、しかし教義改正の一定の方向づけをつけたという意味で努力したと言いたいのでしょうけど、実際は多くの会員の疑惑を招いてしまっていると(笑)。


まあその原因は会員一人一人がきちんと自前で教学をやってこなかったことのツケでしょう。そしてそのために原理主義的に教学を考えることしかできず、信濃町の方針に対して単純にNoをつけつけることしかできない人たちを創価学会員はすでに大量生産してしまったのです。


信濃町もまた隠すことをしないで、おおっぴらに教義改正の顛末を公開すればよいのですが、そういう教学の訓練をしたことがない、表面的に教義を学ぶことが教学だと勘違いしている多くの会員の前で、そんなことを公開したら総反発を食らうのは必至でしょう(笑)。



創価学会って「民衆を賢くする組織」だったんじゃないですかね。
民衆を賢明にするのが創価学会の一つの使命なのであれば、きちんと教学について全てを公開し、宮田幸一さんなんかがやっていることも「大学での単なる研究」なんて誤魔化したりしないで、大いに組織で学んで教学の研鑽をすべきなんです。


そんなこともできない人が多すぎます。戸田会長は「剣豪の修行の如き」と言ってましたが、今の創価学会員の教学研鑽のどこに「剣豪の修行の如き」というものがあるのでしょう。