気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

現世利益から連帯の意義へ。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて一週間前の記事になりますが、聖教新聞(2017年7月22日付)1面の「グローバルウォッチ」を読んで「あれ」と思ったところがありました。
それは以下のような一節です。


「家族が連帯力を失いつつある時、その家族を構成する一人一人は、"行き場"や"居場所"を見いだしにくくなる。そうした個人を支えるのは、時として家族以外の存在だという場合もある。
家族社会学でも、『多様な依存先の存在が個人の家族から"自立"した生活を可能にする』と指摘される。
家族以外の人との触れ合いを通して、あらためて、家族が目指す在り方を知るーーここに、垣根を越えてつながり合う"創価家族"の意味もある。」
聖教新聞の2017年7月22日付)


以前から創価学会は、現世利益や功徳を主張していました。実際、現場レベルでは「願いが叶います」とか「病気も治ります」とかそんなことを言って「折伏」をしている実態があるかと思うんですね。功徳とか罰を強調するのが大石寺系教団の大きな特徴です。


ところがここに来て、創価学会は自教団の存在意義を「創価家族の連帯」ということに見出そうとしているようにも受け取れます。


もともと創価学会は、昭和30年から現世利益を強烈に主張する新興宗教として勢力を拡張し、貧民層や被差別層の人たちを拾い上げて来た実績があります。本来そのような人たちを救うべきだったのは日本社会党日本共産党のような社会主義共産主義勢力だったのかもしれませんが、実態としてそれらの人たちを糾合し、地域に無比のネットワークを作り上げて来たのは事実として創価学会であったのです。


ただ現在、その地域に広がったそれらのネットワークや組織といったものは、逆にしがらみに転化してしまっていまして、それらがあるために返って「退会したくてもなかなか抜けられない」桎梏のようになってきていると思います。
例えば奥さんが学会員だから抜けられないとか、家族がみんな創価学会であるとか、団地の住人の多くが学会員で自治会の役員も婦人部がやっているとか、そういうことです。


ここに来て、聖教新聞紙上で「創価家族の連帯」を主張しているのは、創価学会の現世利益という考え方が次第に多くの人に無効になりつつあり、それらに代わって「家族の連帯」とか「地域社会の確立」とかそういったことに創価学会の意義を少しずつシフトしているような印象を私は受けました。