気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

信濃町のみなさんへ。





いつもみなさん、ありがとうございます。

さてこのブログ、最近は1日に数千件のアクセスがあります。たくさんの人に読んでいただき、本当に感謝しています。
激励や質問のメールもいただきます。本当にありがとうございます。なかなか早急な返信ができず、申し訳ありませんが、ちゃんと全て読ませて頂いていますのでご安心くださいませ。


その中で、どうも信濃町の本部職員のみなさんも、ネット監視の一環も兼ねて私のブログをご覧になっていただいているようです。
いつもありがとうございます。


私のブログを見て勉強したいという方もいらっしゃるようですが、私は自分の思索の過程をポロポロと書いているに過ぎません。
私の推察にも大いに誤りがあるかと思いますし、事実、Libraさんとメールで対談させていただいた時には本尊について自身の考え方を変えざるを得なくなったことも事実です。
思索の過程ですから大いに変わるべきですし、より普遍性の高い真実へ自身の思想を更新していくことが大切なことかと考えています。


ですから、信濃町のみなさんも、私のブログを読んで何かを吸収しようとするのもよいのですが、卑しくも宗教幹部で会員を指導する立場にある方なのですから、やはりご自身でよく検証してみることが大切かと思います。
「気楽非活が言っているからそうなのかな」ではなくて「気楽非活が言っているけど、じゃあちゃんと法華経を読んでみようか」というのが正しい態度かと思います。
事実、多くのブログの読者の方が検証を始めています。法華経の化城喩品や薬王品に阿弥陀仏が本当に出てくるのを知って驚いている読者の方もいらっしゃいます。


ですから私の言葉にせよ、組織の言葉にせよ、名誉会長の言葉にせよ、無批判に摂取することがいかがなものかと思うんですね。
やはり一人一人の信仰者が批判精神を持って、組織や教義を批判する。それができて初めて健全な組織になれるんだと思います。
かつての私はそれができてなかったのです。だからこそ自らの罪滅ぼしもかねて検証をしているんですね。


信仰のための教学とは学ぶことではなくて、考えることです。それも誰かの思想を借りて考えるのではなく、自分の頭で考えて決断することです。
民主主義の本義とは決定した決議に関しては最終的に有権者である国民がその責任を負うという点にあるはずです。
自らの力で考えることができないというのは、結局自分自身が屹立した信仰者であることを否定しているに等しいのだと私は思います。