気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

教学への無関心。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会は2014年に教義を改正して弘安2年戒壇本尊を受持の対象から外しました。加えて教団自身が「創価学会仏」という仏の存在だと定義しました。



私などは違和感があるのですが、ほとんどの会員さんは何も思わないんです。
で、それがなぜかといえば、多くの創価学会の活動家さんが教学の問題に関して無関心だからです。
つまりどーでもいいんです。



私が違和感を感じた一番大きな部分はまさにそのことで、「教義なんかわかんなくてもいい。誰かが決めてくれればよい」とする風潮が信仰者としておかしいとしか思えなかったんですね。


信仰者として、教義は自分の頭で考えて決めていくことだと思うんですけど、誰か教学ができる人が考えればよいとする発想は、正直信仰者として自身が考えることを放棄していると思うんですね。


裏を返せば、現在の創価学会が教学に関して勝手に暴走しているのだと仮定すれば、それは一人一人の信徒が教学の問題に関してあまりに無関心であることが最大の原因かと思います。
信濃町を批判するだけでは物事は解決しないと思いますね。