気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

『中論』を読む(4)第1章の3







いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回の『中論』は第1章の3節になります。



na hi svabhvo bhavanam pratyayadisu vidyate
avidyamane svabhave parabhavo vidyate


「もろもろの事物をそれらの事物たらしめるそれ自体は、もろもろの縁のうちに存在しない。それ自体が存在しないならば、他のものは存在しない。」
中村元訳)


「主観的な存在は、さまざまの存在の中やさまざまの確かな事実その他の中において、認識の対象となることができないのであるから、
主観的な存在が認識できない以上、客観的な存在も認識することができない。」
(西嶋和夫訳)



ものそれ自体の自性が存在しないということをここでナーガールジュナは述べています。
中村元氏の指摘によれば、有部は一切の「もの」の実在を主張したといわれ、存在(もの)をあらしめる「ありかた」を「もの」とみて、すなわち「もの」の本質を実体とみなしたとされます。


したがって「法」(dharma) は『中論』において「もの」(bhava)の語に多くは置き換えられて用いられていますが、それは『中論』が仏教以外の諸派を含めて排斥しているため「もの」という語を用いたわけですが、意味は法と変わりません。




参考文献
中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年。
西嶋和夫訳『中論』金沢文庫、2006年。