気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

批判するなら、なぜ読むのか?






いつもありがとうございます。


ところで、私はあまり理解できないことなんですが、私のブログを批判してブログを書いている人に限って、なぜだか知りませんが、私のブログをやたらよく読んでいる方が実は多いんです。



そんな方は私のブログなど参考にしなければいいんだと思います。
私のブログ記事なんか参考にせず、自力で文献でも読んで考えられた方がいいんじゃないかと思うんですね。
なんで私のことを批判されながら、私のブログを毎回きちんと読まれているんでしょう。不思議でなりません。



批判するなら徹底的に批判すればよいんだと思うんです。しかしそうではなく、中途半端に批判して、なんだか知りませんが、部分的に私のブログにも得るところがあるとかなんとか言われていろいろ考えられているみたいです。



もっといろいろ読まれた方がいいんじゃないかと思います。そんな方はきっとブログを遍歴しているだけなのではないのでしょうか。
私はブログもさまざま読みますけど、文献もあちこち手当たりしだいに読みます。考える材料もなければ書くこともできませんものね。



大石寺教学を再考するなら、少なくとも『富士宗学要集』全10巻は必読かと思います。現在の大石寺の教義に繋がる日寛の教義を知るなら『六巻抄』と『文段』も必読でしょう。


もちろんこれだけで足りるものではありません。もっともっと学んでいかなくてはならないものなんてたくさんあります。



日蓮の思想を真に知りたいと思うなら、日蓮の遺文の再検討と、興門流諸山の関係文献を一度全部さらう必要があるでしょう。そういったことを避けて「私はこう思う」と言ったところで、信仰者としては純粋かもしれませんが、世間一般の評価は得られないと考えます。
事実、そういった文献の精査をきちんと個人がしてこなかったことが、現在の創価学会大石寺の破綻した現実を許して来てしまった、最大の原因かと思います。



信濃町を悪者にするだけでは何の解決にもならないと思いますね。
一人一人の個人が教学の真摯な検討をしてこなかったことが最大の原因であり、それを信濃町・学会本部の責任に帰したところで、自身の無責任を暴露しているに等しいことに気づかないんですね。そんなの信濃町と変わらないではありませんか。