気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

「宿習」の用例について。






いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで先日「宿命」という語の日蓮の用例について、ブログで書かせていただきました。


「宿命は日蓮の思想ではない」



ここで指摘しているように「宿命」については実はほとんど日蓮の用例がない語です。


ところで、ネット上で指摘があったようですが、「宿習」という語は20箇所程度用例があります。
寡聞にしてわかりませんが、私は推測するに「宿習」という語は「薫習」という語と対になる表現だと考えています(事実『念仏者追放宣旨事』では「宿習」と「薫習」が対で使われています。御書87ページ参照)。


「薫習」阿頼耶識に染み付いた香りのような業であり、これは唯識派の思想に近いと思うんですね。
日蓮の唯一の用例である「宿命」がもしも「宿習」と同義であると仮定すると、「宿命転換」という語の意味が唯識思想的にどのように考えたらよいのか、よくわからないんですね。
そもそも唯識思想で阿頼耶識は貯蔵の意味であり、やってしまったことは永遠に「薫習」して残ってしまうということを意味していると思います。それを「転換」できるとするなら、それは唯識思想的にどう考えればよいのか、私にはよくわかりません。


ですから私は「宿命転換」という語は日蓮思想としては採用しない方がよいだろうと考えています。
もちろん「宿習」という概念を「宿命」と考えてそれが転換できると考えるのも自由ですが、仏教的にどういうことなのか、やはり説明できないと一定の説得力を持ち得ないと私は思います。