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創価学会の非活メンバーによる語り

龍樹の『中論』を読む(2)第1章の1




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回はナーガールジュナ『中論』第1章「原因(縁)の考察です。


第1章「縁の考察」
Pratyaya pariksa


na svato napi parato na dvabhyam napy ahetutah
utpanna jatu vidyante bhavah kva cana ke cana


「もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、他のものからも、二つからも、また無因から生じたものも、あることなし。」
中村元訳)


「主観的なものでもなければ、客観的なものでもなく、その両方と無関係なものではないけれども、理論に合わないものでは決してない。
眼の前のさまざまな現象が正に見えているだけのことであって、さまざまの存在が実際に存在しているわけではなく、存在は何も存在しない。」
(西嶋和夫訳)


なお中村元氏の訳は論理的脈絡のはっきり辿れるチャンドラキルティーの注釈『プラサンナパダー』にしたがってサンスクリット原本から訳出しています。西嶋和夫氏は独自の観点からプサン本を用いています。またこの投稿中のローマ字表記は西嶋氏の訳本によっていますが、フォントの関係上表示できない文字があることをご承知ください。


縁起は「pratitya-samutpada」とされますから、本章のタイトル(Pratya pariksa)は「縁起の検証」とか「原因の考察」とされるべきでしょう。事実、中村元氏は「原因(縁)の考察」としています。
それに対し、西嶋氏は独自の観点から「確かな事実に関する検証」としています。


西嶋氏の考え方はナーガールジュナ思想に実在論を見出そうとする立場です。考え方はどうあれ解釈は自由で構わないと思いますが、私には『中論』そのものの論敵が説一切有部であり、説一切有部の法の常住説に対する徹底的な否定という中村元氏の考え方に一定の信用性を認めています。そう考えるなら西嶋氏の実在論はややもするとナーガールジュナ思想を論敵たる説一切有部の思想に貶めてしまう危険性があるのではないかと考えています。