気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

龍樹の『中論』を読む(1)



いつもありがとうございます。



さてこれから、少しずつ不定期でナーガールジュナ(龍樹)の『中論』を紹介してみようと思います。
テクストについては、サンスクリット原本からの中村元訳、西嶋和夫訳の2種類を参考にしたいと思います。なお西嶋氏の訳本にはサンスクリット原典の詳細なローマ字表記がついているので、併せて紹介したいと思います。


今回は巻頭の4行詩を紹介します。


anirodham anutpadam anucchedam asasvatam
anekartam ananartam anagamam anigamam
yah pratitya samutpadam prapancopasamam sivam
desayamasa sambuddhas tam vande vadatam varam


「何ものも消滅することなく、何ものもあらたに生ずることなく、何ものも終末あることなく、何ものも常恒であることなく、
何ものもそれ自身と同一であることなく、何ものもそれ自身において分かたれた別のものであることなく、何ものも来ることもなく、去ることもない、
戯論の消滅というめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、もろもろの説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。」
中村元訳)


「隠されたものではない、新たに現れたものでもない、途切れ途切れのものでもなければ、永遠のものでもない。
二つ以上の目的を持つものでもなければ、幾つかの目的を持つものでもなく、到来するものでもなければ、消滅していくものでもない。
それは明々白々とした綜合的な現象であり、目に見える世界であり、静寂であり、恵み深いものである。
あの全てに目覚められた方は、そのような世界を尊敬の念を持って、最高の教えとして示されたと云われている。」
(西嶋和夫訳)



中村元氏も著作で指摘していますが、『中論』を安易な虚無主義ニヒリズム)として評価することは避けねばならないと思います。この点については西嶋氏の見解も中村氏とある程度一致し得ると私は考えています。
『中論』における主要な論敵は中村元氏の指摘のように説一切有部なのであって、法の常住説に対してその空性を喝破したことにその意義がありました。
世界の実在性について私たちは疑い得ないと考えていますが、それらは縁起、すなわち関係性の網目によって、それぞれの諸存在が存在するという認識論敵顚倒が私たちには存在します。



つまり私たちは世界をただ分節して認識することしかできず、事項の意味というものは縁起によって浮かび上がる虚偽に過ぎないのですが、そのことについてここまで徹底した人こそがまさにナーガールジュナだと思います。そしてそのことこそが釈迦の本来の思想であるからこそ、彼は「第二の釈迦」と呼ばれたのだと考えています。