気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

法華経を根本とした道元。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて鎌倉仏教の中でも日蓮だけが法華経を根本にしていると、多くの創価学会員さんや大石寺信徒さんは思っていますけど、実は道元という人もまた法華経を非常に重視していたことは、日蓮信徒の方々にもっと着目されてよいことだと思います。



日蓮は、法華経を仏の「未来記」として、法華経末法という時代のために書かれた予言書であると解釈しました。
道元にはそのような視点はありません。そもそも道元は「末法」という歴史概念を否定しています。確かに法華経法師品には「正法」「像法」という用例が見られますけど、サンスクリット原典を見ても仏の法が次第に衰えていく歴史区分という風には読めません。むしろ仏の教えが長く伝わっていく喩えとして「正法」「像法」をここで語っているように私には思えます。確かに「末法」の語は安楽行品にありますが、道元はそれらを採用してはいません。

道元の時間概念は常に「今」という視点に立っていまして、「刹那の時間」から法華経を観じています。つまり道元にあっては思索の中心は常に「今ここ」という永遠の現在でなければならず、その問題意識から法華経を読んでいるんですね。


いわば日蓮法華経を物語として、もっと言えば未来への自身の予言書として法華経を読み解き、自身を仏の使いと考えたのに対し、道元法華経の「唯仏与仏・諸法実相」から本来の仏の悟りを考えたとも言えるでしょう。