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創価学会の非活メンバーによる語り

『立正安国論』の儒教的な発想。






いつもみなさん、ありがとうございます。



さて『立正安国論』は国家諫暁の書と言われたりします。

ところで"諫暁"という言葉ですが、これは国家の為政者を諌めるというニュアンスで使われています。仏典では使われない言葉です。
そもそも日蓮の『立正安国論』は法華経を根本に国を治めていくべきだということを訴えた書物かと思いますし。



ところで、法華経そのものにこのような国や為政者、王臣などと関わってそれを変えていく発想があるのかというと、ないんですね。
それどころか法華経の安楽行品には「国王や大臣などに親近してはならない」という一文さえ存在します。実際、聖徳太子も『法華義疏』の中で「国王や大臣たちに近づいてはならない」と示しています。


少しでも仏典を学んだことがある方ならわかることなのですが、そもそも仏教というのは政治の世界に与するものではありません。つまり仏教には本来現実の政治を変革するという発想が存在しないのです。


では日蓮が現実の政治の世界の変革を目指したとする発想の由来は何なのでしょう。
おそらくそれは中国経由で入ってきた『貞観政要』などにみられる儒教の考え方なのではないかと私は思っています。
儒教が日本に入ってきたのは513年、継体天皇の頃に百済から来た五経博士によって伝えられたと言われています。これは仏教伝来よりもはるかに早く、どうも『日本書紀』にその記述があるようです。儒教はだいたい5世紀から6世紀には日本に伝わってきていたとするのが一般的な理解のようですね。
立正安国論』にみられる「国や為政者は正しい僧を重用すべきであり、間違った僧を用いればそれ相応の報いを受ける」という考え方は仏教というより、儒教的な考え方でしょう。
そもそも日蓮が「三度諌めた後に用いられなければ、山林に入る」として身延山に入ったことは、どう考えても発想的に儒教かと思います。


日蓮門流はこの点にあまり自覚がなく、政府に『立正安国論』を提出したり、近年に入ると日蓮主義が国粋主義と結びついたり、国立戒壇とか言ってみたり、あるいは政党を作ったりしてきました。ところがそうやって為政者と関わっていく発想は仏教の考え方ではないと思うんですね。




追記:
考えてみると、池田名誉会長と対談もしているハーバード大学のドゥ・ウェイミン氏の専門は儒教です。また名誉会長がしばしば語る「親孝行」という発想も多分に儒教的なものを感じますね。とすると池田名誉会長の考え方と儒教は相性がよいのかもしれません。