気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

安楽行品における空性。





いつもありがとうございます。
さて前回法華経の安楽行品を引用したので、続けて安楽行品からいくつか引用して考えてみたいと思います。


「さらにまたマンジュ=シュリーよ、求法者はこの世に存在する一切のものが正しく置かれて逆に置かれず、あるがままに置かれて動かされず、震わされず、ひっくり返されず、転がされないのを見て、それらは『空』であると見るのである。すなわち、それらのものはあるがままに置かれていても、その本質は虚空のごときものであり、説明することも言葉によって表現することもできず、生まれたのでもなければ存在したのでもなく、移り変わるものでもなければ移り変わらないものでもなく、存在するものでもなければ存在しないものでもなく、言葉に表現し得ないとはいえ、障碍のない場所にあって、知覚の誤りによって生じたものと見るのである。求法者は常にこの世に存在するすべてのものをこのように見て、暮らすのである。」
(岩波裕訳、法華経安楽行品より)



ここを見ると、安楽行品にもまた空概念の説明が説かれていることがわかります。


そもそも私は法華経の中に何か絶対的な正しい法が実在するという考え方に懐疑的な立場なのですが、こんなところを読むと非常に納得するところがあったりします。



そもそも実在性というものこそ認識の倒錯であるという考え方を私はとっていますが、安楽行品に着目するなら法華経を依拠としてもそのような存在論を立てることは可能になるかもしれません。


ただ方便品の十如是・諸法実相が何か実体的なものであると考える立場には私は懐疑的ですね。