気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

勤行について。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は2017年5月6日付の聖教新聞4面に掲載された「【みんなで学ぶ教学】勤行・唱題」を読んだ感想です。
結論から言ってしまうと、ここで書いてある教義の根拠となるのは大石寺26世日寛の『当流行事抄』に過ぎないのです。



以下聖教新聞から引用しつつ書いてみます。


「南無妙法蓮華経とは何でしょうか?  日蓮大聖人が覚知された、宇宙と生命を貫く根源の法であり、万人の苦悩を根本から解決する法です。自身と宇宙(万物)に具わる仏界の名です。」


完全にウパニシャッド哲学の梵我一如の思想であり、仏教の本来の教えとは異なるかと思います。


「私たちの日々の勤行では、題目を唱える「唱題」とともに法華経の方便品第2と如来寿量品第16の自我偈を「読誦」(読経)しています。」


この後の聖教新聞の解説によれば、方便品を読むのは「諸法実相」が説かれているから読むのだそうで、如来寿量品を読むのは「久遠実成」が説かれているから読むのだそうです。ところが、論拠についてはここでは全く示されていません。
具体的に論拠を私が示しますと、日蓮の遺文では『月水御書』に方便品と如来寿量品読誦について説かれています。またそれらの読誦を教義として確立したのは大石寺日寛の『当流行事抄』です。

『当流行事抄』には「開山已来化儀化法四百余年全く蓮師の如し故に朝暮の勤行但両品に限るなり。」(富士宗学要集3巻211ページ)とありまして、ここで教義として方便品・如来寿量品読誦が規定されています。
つまり聖教新聞のここでの説明は論拠こそ示していませんが、日寛の解釈に則っていると判断されるでしょう。もちろん『月水御書』は日蓮自身の遺文だと主張することも可能ですが、同抄は録内とはいえ真蹟が存在していませんので、客観性にやや乏しいと考えられます。


「あくまでも、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが、勤行にあって根幹の修行です。ゆえに、唱題を『正行』といいます。
方便品・自我偈の読誦は『正行』である題目の功徳を助け出すために行うので、『助行』と言います。
米やパンといった主食(=正行)と、塩や酢といった主食の味を助ける調味料(=助行)の関係に譬えられることもあります。」


これは、完全に大石寺日寛の教義です。
大石寺日寛の『当流行事抄』には「譬えば灰汁の清水を助け塩酢の米麺の味を助くるが如し故に助行と言ふなり」(同179ページ)と説かれていまして、この説明と全く同じです。

つまり創価学会大石寺から離れたのにも関わらず、いまだに大石寺法主の本尊を拝んで、大石寺法主の作った教えに則って信仰活動をしているということになります。
創価学会は無批判に日寛を中興の祖と称えてきましたから、自分たちの前提となる教義が日寛由来であることに対してもはやその前提を省みることさえ無学のためにできなくなっているのでしょうね。