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気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

『御義口伝』の信憑性。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて私は大石寺に伝わる相伝書の類いは基本的にその信憑性が疑わしいことから、偽書の疑いが強いと判断しています。

『百六箇抄』について

『本因妙抄』について(後半部分)

『産湯相承事』について

『御本尊七箇相承』について

そもそも真筆が存在していないのですから、信憑性が低いのは当たり前のことなのです。


ところで日蓮の講説を日興が記録した『御義口伝』について、少し私の考えは違います。


もちろん真筆ではないと考えていますが、民部日向の『御講聞書』の存在もあるゆえに、少なくとも弘安年間、またはその前後に『註法華経』をもとにした講説が門下に対して行われた可能性はあると考えています。


ですから『御義口伝』は日蓮の直接の著作とは言えないのですが、少なくとも日興門流がこのように日蓮の弘安年間の講義を解釈したという史料としての価値は存在し得ると判断しています。


当然のことですが、この『御義口伝』をもとにして、これを安直に日蓮の思想であるとするのは、牽強付会の批判を免れ得ないでしょう。ただ日興門流が法華経の講義を聞き、日蓮をそのような思想として解釈したものとしてなら史料として評価できるのではないかなあと思うんですね。


可能であるなら、『御義口伝』や『御講聞書』また『一代五時図』『註法華経』などを頼りにして、実際にどのような講義が日蓮により行われていたのかについては今後の研究の余地がある気がするんですね。


つまり研究の方法として『御義口伝』の解釈が日蓮の思想として適切であるのかないのか、もしも適切でないとすればどの程度の論理の飛躍であるのか、同様の思想は『御講聞書』には見られないのか、また他の真蹟文献中には見られないのか等々、史実を検討するための価値は存在し得ると思います。