読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

唱題は止観の代替。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて妙楽大師湛然は「止観」の意義を強調し、その上で「禅」については批判しています。



『止観輔行伝弘決』等から分かりますが、湛然の考える止観は、禅を包含するものであり、「禅」よりも「止観」の方が優れると湛然は考えていました。


『天台小止観』では「行住座臥」という用語が見られます。禅とは異なり、止観では日常生活の全てにおいて止観を根本に置くという考え方があります。坐禅の修行法を否定しているわけでもないのですが、それをもとにしつつも普段の日常生活から止観による視点で見ていくということが考えられています。


そこから考えると日蓮の『唱法華題目抄』における「行住座臥」という用語からは、"末法"という時代に「禅」を包含した「止観としての唱題行」という考え方を見出すことができます。


つまり日蓮にあっては止観は唱題行に換言されているということです。
法華経の題目を根本にすることで、湛然における止観に替えるという考え方があったと推察できます。


とすると日蓮の禅批判は湛然の禅批判を前提にしているのかもしれませんね。
禅よりも止観が優れており、止観の代替として唱題行を持ってくることができるなら、日蓮の考え方は唱題を止観の代用として考えたと言えるでしょうね。