気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

末法は存在しない。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて「天台智顗の修行は"本未有善"の"末法"の衆生には役に立たない」という教義もまた現代ではもはや無効でしょうね。



そもそも"末法"という考え方が出てくるのは『大集経』です。『大集経』そのものは中国で創作された経典に過ぎず、もはや末法という考え方も否定されるべきでしょう。中村元氏も指摘していましたが、後代になればなるほど釈迦の死を創作で潤色し、永遠の像として定義づけようとした漢訳仏典は、その性質上、釈迦を永遠の存在と定義しておきたかったのかと思います。
末法」という概念もその過程で生まれてきた創作でしかないでしょう。


ですから下種益を強調する創価学会日蓮正宗の教義は、天台智顗の"末法"概念を踏襲していますので、もはや廃棄されるべき教義です。
今こそ釈迦の本来の教え、また大乗仏教運動の本質に根ざしたものとして、日蓮の再評価をしなければならないと私は考えています。
このブログで度々指摘しているように日蓮思想には限界があり、現代では無効な教義も多く、使い方を誤ると非常に危険なことは歴史が証明している通りです。


いつまでも教団側の本部職員とか本山の聖職者側が何かしてくれるだろうと思っていても何も出てきませんし(笑)、信徒の目を欺いてお茶を濁すのが関の山ですから、一人一人の信徒がそれについて考えて実際に実践しなければならないでしょう。


創価ルネサンス」なんて言ってましたが(今はもはや死語・笑)、本来のルネサンスとは人間復興であり、あらゆる権威から離れて自分たちで信仰を確立するということがその本義だったのではありませんか。


マックス・ヴェーバーによれば教団が官僚化し、形骸化する事態は回避できません。とすれば官僚化する教団職員も問題ですが、同時にそれらを黙認してきた信徒一人一人もまたその責任を回避できないのです。


一人一人が自身の責任に立ち、教義を確立し、信仰を継承していくことが現在求められているのだと私は思います。