いつもみなさん、ありがとうございます。
「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
この中で指摘したことですが、実は四天王のうち、下部に書かれる「広目天王」と「増長天王」について、日興筆の御座替本尊では「大毘楼勒叉天王」(増長天の梵名)「大毘楼博叉天王」(広目天の梵名)と書かれています。
和名ではなく梵名で書かれているのです。
実は日蓮自筆の本尊では弘安2年10月の前と後でこの四天王の書き方が変わるんです。
建治2年〜弘安2年の初めまで日蓮は四天王について「大毘楼勒叉天王」「大毘楼博叉天王」と梵名で書くことが多いのです(ちなみに建治2年の真筆本尊では持国天についても「大提頭頼咤天王」と梵名で書かれています)。
例えば弘安2年4月日弁授与本尊(千葉妙興寺蔵)を見てみましょう。
弘安2年の7月頃までは両方の書記法が混在していますが、比較的梵名で書かれることが多いんですね。
つまり弘安2年の10月から筆法として梵名ではなく和名で四天王を全て書くようになるんですね。
このことから考えても、日興が御座替本尊を書写した正応3年の時点で戒壇本尊は存在しておらず、日興は建治期から弘安2年前半にかけての日蓮筆曼荼羅の筆法にならって書写を行なったと考える方が推察としては自然です。
追記:
日蓮の曼荼羅筆法では「王」には点を打ち「玉」とすることが一般的です。ですから本来なら「広目天王」ではなく「広目天玉」と書くべきなのですが、上記の投稿では一般的な記述にならって「広目天王」「増長天王」と書いたことをご承知ください。