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さて日興滅後に大石寺では『日興跡条条事』を出してきて日目への相伝があったことを主張していますが、反対に西山本門寺では『日代八通譲状』を出してきて日興から日代への相承があったということを主張しています。実はこのことをあまり創価学会の方は知りません。
というのも、日興が亡くなった時の記録で『富士門家中見聞上』には以下のような記述が見られます。
「初七日には日代の御供養重須に於て之を修し日目の御説法あり、一百箇日の御仏事日目大石寺に於て修し給ふ御説法は日代なり御伝」
(『富士宗学要集』第5巻179ページ)
これを以て見ると、日目・日代どちらも日興の後継であり、それぞれが導師となっている事実を示しています。ここから考えるとどちらかが「唯授一人」の付属者ではないことがわかります。恐らくは「唯授一人」も後世に形成された教義なのでしょう。
追記: