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日興筆とされる『三時弘経次第』ですけど、実際には真蹟は存在していません。堀日亨氏は『三時弘経次第』の内容が日興正筆の『本門弘通事』と同趣旨であるとして『富士宗学要集』に同編を続けて収録しています。このことから『三時弘経次第』が日興真撰である蓋然性は高いことになります。堀日亨氏と同様に宮田幸一氏もこの点について同書の信憑性に一定の評価をしています。
日興正筆の『本門弘通事』と内容が同趣旨であることから考えても、同抄は日興の当時の思想を伝える書物と判断してよいと私は考えています。実際、堀日亨氏と宮田幸一氏も同じ判断をしています。
実際にどんなことが書いてあるか、全文を引用してみましょう。
「一仏法流布の次第
一正法千年流布 小乗 権大乗
一像法千年流布 法華 迹門
一末法万年流布 法華 本門
今末法に入つて本門を立てて国土を治む可き次第。
迹門の寺 付属の弟子は 薬王菩薩 伝教大師。
天照太神の勅に曰く、葦原千五百秋の瑞穂の国は是レ子孫の王たる可き地なり、宜しく就て治む可し。
孝経に云はく、先王正直の徳を行ふときんば四方の衆国皆法則に順従するなり。」
「本門の寺」において日蓮の立場が法華経で釈迦より付属を受けた上行菩薩であるとするなら、日蓮本仏説が見られることの方がむしろ不自然です。事実ここでは日蓮本仏説など微塵も見られません。もしも日興に日蓮本仏説があったとするなら、迹門の戒壇を破って本門の戒壇を富士山に建立すると主張している文書で、日蓮聖人の立場を「上行菩薩」と書くはずがありません。しかも次の行には「久成の釈迦仏」と書いて釈迦本仏説を明確に打ち出しています。
従ってここから考えても、『三時弘経次第』を真撰とする立場に立つならば、日興の中に日蓮を本仏とする思想は当時から存在しなかったことが容易に推察できるかと思います。