気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の非活メンバーによる語り

源信の念仏思想と恵心流。






いつもみなさん、ありがとうございます。
先日は長井秀和さんとともに、トークイベント「気楽に語ろう☆信濃町会議」をやってみました。お集まりいただいたみなさん、本当にありがとうございます。
こんな風にみなさんと話せるイベント、ぜひ定期的にやっていきたいです。


さて今回のテーマは「天台宗の念仏と恵心流について」です。


考え方にもよりますけど、そもそも日蓮系教団分裂の淵源は日本天台宗にあると考えることも可能かとは思います。

法華経における諸法実相を拡大解釈し、脱三論宗すなち脱龍樹思想としましたし、この解釈が天台宗をどんどん分裂させ、日蓮系の様々な諸派も分かれることになります。


そもそも比叡山最澄亡き後、円仁と円珍の門流で解釈の相違から対立が起こり、山門派と寺門派とに分裂。その後、山門派もまた恵心流と檀那流とに分かれてしまいます。


日蓮宗曼陀羅における教主は釈迦本人ですが、日蓮正宗曼陀羅本尊を日蓮本人とする考えは大石寺9世日有において作られた教義です。ここから日蓮本仏論が明確に出るのは26世の堅樹日寛の出現を待たなければいけません。これは中古天台の恵心流口伝法門において語られている内容と重なりますから、そもそもの淵源は日本の天台宗ということになりますね。


まあそもそも題目を唱える修行法は、天台恵心流口伝法門で伝えられていたものなので、日蓮自身がそこから自身の教理を築いたとも言えます。
若き日の蓮長は比叡山において俊範に師事しています。恵心流はいわゆる本覚思想を持っていますから、凡夫即仏の思想や法華経文底の解釈などさまざまな教理について恵心流からの影響が考えられます(逆に檀那流は始覚法門になります)。
そもそも日蓮正宗の中興の祖とされる堅樹日寛は仙波檀林の出身で恵心流の口伝について学んでいた可能性が高いです。また檀林に伝わるところによれば日蓮自身が仙波檀林にて灌頂を受けているようです。



比叡山に念仏思想を広めたのは恵心僧都源信です。本来、比叡山では度々念仏は禁止されていました。具体的には比叡山の訴えを受けて、後鳥羽上皇は専修念仏を禁じています。ところが源信は『往生要集』を著し、比叡山に念仏思想を生み出していきます。
法然はこの源信の『往生要集』から自身の念仏思想を築き上げていくのですが、そもそも比叡山における念仏思想は念仏以外の他の教えを棄てたりはしません。例えば恵心流がそうですが、釈迦の三身のうち報身を「阿弥陀」とする考え方も存在していました。これは真言における覚鑁の思想に近く、覚鑁によれば大日は阿弥陀と同一視されています。


すなわち比叡山における念仏は「観想念仏」であって、仏のことを思い浮かべるという修行であり、決して他の教えを否定したわけではないのです。
これに真っ向から異を唱えたのが法然です。法然は釈迦と法華経を棄てて、阿弥陀浄土三部経を取ることを主張しました。彼の考え方にはこの恵心流の考え方が深く根ざしているように私には思えます。


以前、このブログでも書きましたが、日蓮による法華経の題目を唱えるという修行法の確立には比叡山における念仏思想がその根にあると考えています。


「他宗批判と諸教包摂ということ」



つまり日蓮比叡山における念仏思想を摂取しつつも、比叡山の衰退という事態を目の前に見た(これは『立正安国論』の描写からも明らかです)。そして自身が最澄の後継者であり、法華経の正統な行者であるという自覚から、法然法華経否定を許すことができなかった。だからこそ日蓮法然の専修念仏を徹底的に批判し、法華経中心による諸教の包摂を考えた。私はそう考えています。
檀那流と異なり、恵心流では法華経の表相ではなく観心を学ぶことを主とします。観念観法としての唱題という発想と、源信による念仏を唱え続ける発想そのものこそ、恵心流の発想であるということです。


日蓮系教団、とりわけ創価学会日蓮正宗の方たちが、題目を何時間も必死にあげるさまは、天台における観念による題目の修行というより、どちらかといえば称名念仏の考え方に近いように私には思えてならないんですね。